東京オリンピック(五輪)の開幕延期を受けて、26日に福島・Jヴィレッジをスタートする予定だった聖火リレーも中止になった。公募などで選ばれた約1万人の聖火ランナーは新旧の五輪、パラリンピック選手はもちろん、プロ野球やJリーグ、大相撲と日本中のアスリートが参加予定だった。組織委員会は延期日程確定後、同じランナーを優先起用することを示唆した。

新型コロナウイルスの感染拡大を心配し、IOCと組織委員会の動きを気にしていたランナーたちの思いは、届かなかった。相次ぐ規模の縮小、沿道観覧の自粛要請、トーチなしのランタンリレー、そしてリレーそのものがなくなった。

第1走者の「なでしこジャパン」は前日に見送りが明らかになった。スタートのJヴィレッジは、女子サッカーの「聖地」。ここで厳しいトレーニングに汗を流し、ミーティングを重ねた。11年東日本大震災では変わり果てた姿に衝撃を受け、被災者の思いを胸にドイツワールドカップ(W杯)で初優勝を果たした。震災とスポーツ、Jヴィレッジとサッカーを語る上では外せない「11年W杯組」。聖火リレースタートの最高のストーリーになるはずだったが、かなわなかった。

11年女子W杯で優勝を飾ったなでしこジャパン(撮影・PIKO)
11年女子W杯で優勝を飾ったなでしこジャパン(撮影・PIKO)

多くのスポーツ選手が、さまざま思いを胸に聖火を持って走る予定だった。家族に、友だちに、チームメートに、日本国民に…。リレーを通して思いを届けるつもりだったはずだ。それが「幻」になった。大会組織委員会は延期日程に合わせて同じ聖火ランナーを起用するプランはあるが、20年7月24日の東京五輪開幕へ聖火をつなぐ役目は、リレースタートの2日前になってなくなった。


<聖火リレーアラカルト>

◆五輪の聖火 大会期間中に聖火台にともされる火。古代ギリシャで開かれていた古代オリンピックにならい、1928年アムステルダム大会から採用された。ナチス政権下の36年ベルリン大会からギリシャ・オリンピアから聖火をリレーして会場に運ぶようになった。ギリシャ文明の正当な継承者はドイツだと世界にアピールする国威発揚の意図があったとされる。

◆ルート ギリシャから開催国までの各国・地域をつなぐ方式と、ギリシャから開催国に直接運ぶ方式などが混在。64年東京大会ではトルコやインド、タイなどを飛行機で転々としながら各地でリレー。04年アテネ大会では世界5大陸を巡る国際ルートが初採用され、27カ国を聖火が訪れた。だが08年北京大会では、中国政府のチベット政策に反対する人権団体の妨害が各地で発生。混乱を受けて国際ルートは廃止された。

◆こんな場所も 76年モントリオール大会では聖火を電子パルスに変換し、衛星を経由して再点火した。00年シドニー大会ではダイバーがグレートバリアリーフの海中をリレーした。

64年10月、東京五輪開会式で国立競技場の聖火台に点火する坂井義則さん
64年10月、東京五輪開会式で国立競技場の聖火台に点火する坂井義則さん

◆最終ランナー 96年アトランタ大会は当時パーキンソン病に苦しんでいたボクシング元ヘビー級王者ムハマド・アリ、08年北京大会は体操で3つの金メダルを獲得した李寧ら著名なアスリートを起用するケースが多い。64年東京大会は原爆投下の日に広島県で生まれた陸上選手の坂井義則(当時早大)が起用された。