ミラノ・コルティナ五輪は、日本が歴代最多24個のメダルを量産して幕を閉じた。国・地域別で初めて世界5傑に食い込む5位(1位はノルウェーで41個)。銀7、銅12。22年北京大会の当時最多18個を6つも更新した。金は98年長野大会に並ぶ最多タイで、国外では単独1位の5個とした。
同じイタリアのトリノで行われた06年大会は荒川静香が金だったが、全体で1つだけ。20年で躍進した理由は選手、国内競技団体の努力は前提の上で、スポーツ庁が設置された15年以降の予算確保が大きかった。
五輪とパラリンピックを合わせた競技力向上事業として19年度に初めて予算が100億円を突破。21年の東京大会後は支援縮小の悲観論も、日本オリンピック委員会(JOC)が国に働きかけて今も大台を守る。
その中でスポーツ庁は「重点支援競技」の最高位「Sランク」を拡大。強化費を30%加算する「選択と集中」で、従来は夏季の5競技に対して冬季はスピードスケート女子の中長距離だけだったが、スノーボード男女ビッグエア、フィギュアスケートのペア、フリースタイルスキー男子モーグルを昨春に追加していた。
助成に応え、次につながる結果。木村と村瀬が男女アベック、りくりゅうがペア初の金を見事獲得。けん引されたスノボは9個、フィギュアは6個と最多を塗り替え、堀島も銅だった。
各団体は最大化した。「過去一番のサポート」と胸を張るのは日本スケート連盟の竹内フィギュア強化部長だ。ミラノから車で約1時間の北西部バレーゼに独自拠点を設置。五輪期間中は1日1時間弱しか公式練習がない中、計6時間の氷上練習を選手に用意した。
4年前の北京後、即、候補地選定。イタリア3都市を視察して他競技を含む海外勢との争奪戦を制した。ベルガモは米国。当地の2大拠点を押さえた日米が団体の銀金で「歴史的な転換点」(竹内氏)に導いた。
24年度まで冬唯一のSランクだった種目の高木は、出場4度目で日本初の個人メダル10個目をつかんだ。JOC橋本会長が「継承して強化体制を整えていくことが美帆さんへの感謝」と涙したように次世代へ。選手の進歩に負けない強化戦略の洗練に、終わりはない。【現地デスク=木下淳】

