2月に開催されたパラアルペンスキーのアジアカップ(長野・菅平)で、日本障害者スキー連盟は新たな2つの取り組みにトライしました。

1つ目が地元上田市の小学校での訪問授業です。大会の1週間前に本堂杏実、高橋幸平の2選手、連盟の常任理事を務めている私の3人で、パラリンピックについて授業をしてきました。子どもたちは選手の話に真剣な顔で耳を傾け、私が持参したメダルに目を輝かせ、想像以上に喜んでくれました。

印象的だったのは、左手の指が欠損している本堂選手への「左手がなくて困っていることはありますか」という子どもからの質問でした。本堂選手は「全然困ることはない。この手だからパラリンピックに出場できたし、私はこの手が大好きで誇りに思っている」ときっぱりと答えました。その時の「そうなんだ」とすごく納得した子どもたちの顔は忘れられません。「個性の尊重」などと言葉で教えるより、ずっと腑(ふ)に落ちたはずです。

2つ目は大会中に実施した体験会です。重度障がい者の子どもたちが特別なチェアスキーに乗って、スタッフのサポートを受けながら試合後のポールを立てたままのコースを滑りました。ゴールエリア付近での体験会には選手の所属企業の社員や競技団体の事務職員も参加しました。パラ競技と選手への理解がより深まったと思います。

これまで競技会、普及活動、体験会は別々でした。でも目の前で選手が滑っていたら、自分も滑ってみたくなります。大会、体験会、普及をつなげて一緒に実施することは相乗効果を生みます。この取り組みを続ければ、山を高くすると同時に裾野も広げることができる。強化と普及を両輪で走らせるということは、こういうことなのだと理解できました。

ちなみに訪問授業で子どもたちに激励されて「気持ちが上がった」と話していた高橋選手は、大会で4戦3勝と絶好調。今回の取り組みは、選手にもプラスになったようでした。

◆大日方邦子(おびなた・くにこ)アルペンスキーでパラリンピック5大会連続出場し、10個のメダルを獲得(金2、銀3、銅5)。10年引退。現在は日本パラリンピアンズ協会会長で、平昌(ピョンチャン)パラリンピック日本選手団長を務めた。電通パブリックリレーションズ勤務。47歳。