<パリオリンピック(五輪):陸上>◇1日◇男子20キロ競歩◇イエナ橋
初出場の濱西諒(24=サンベルクス)が1時間20分33秒の18位でフィニッシュした。
5000メートル競歩の日本記録保持者でスピードが武器の新星。普段は埼玉・草加市内のスーパーで週4日勤務する“歩くスーパー店員”が奮闘したが、目標の入賞には届かず「新参者が戦うにはまだ早いという現実を突きつけられた」と完敗を認めた。
落雷の影響により、30分繰り下げの午前8時にスタート。号砲後にボンフィム(ブラジル)が抜け出したが、すぐに集団に吸収される展開となり、序盤は集団歩が続いた。
5キロ以降で30人ほどの集団は縦長になり、濱西ら日本勢3人は先頭集団の15~20番手付近で追った。徐々に集団の人数が減る中、16キロ地点で先頭集団から脱落し、粘ったが先頭から1分38秒差の18位で終えた。
濱西のレース後のコメントは以下の通り
-18位で終えて
濱西 「出るからには入賞の目標を掲げていた。達成できない悔しさはあるが、4月のトルコの20キロが52位の結果に終わっていた。そこに比べたら、この4カ月で、改善できることは改善できた。夏以降、来年の世界陸上の代表権獲得に向け、収穫が大きかったレースだった」。
-収穫は
濱西 「日本選手権では警告2枚出ていた。トルコのレースは中盤以降、まったく歯が立たなかった。今回のレースは15キロまでですけど、そこまで粘ることが出来たのは1つ成長したところ。ただ、ラスト5キロ対応できていないので、今後の一番の課題」。
-世界との差は
濱西 「新参者が戦うにはまだ早いという現実を突きつけられたと思う」。
-レース時間が遅れる難しい状況だった
濱西 「全部が全部、初めての経験なので。それも1つの大きな経験。来年以降、日本のレースで遅れることがあったら対応できるように、勉強と言うことで持ち帰りたいと思います」。
◆濱西諒(はまにし・りょう)2000年4月24日、大阪・豊中市出身。豊中市立第四中で陸上競技を始め、履正社高で競歩と出合った。高2時の17年アジアユース選手権1万メートル競歩代表。高3時の18年福井国体では少年男子共通5000メートル競歩で優勝。明治大を経て、23年からサンベルクス所属。幼少期から阪神を応援しており、初めて買った選手のユニホームは新井貴浩(現広島監督)。高校時代は1学年上に安田尚憲(ロッテ)、1学年下に井上広大(阪神)がいた。アイドルグループ「櫻坂46」のファン。身長173センチ。