パリ五輪バレーボール女子日本代表で主将を務めたNECの古賀紗理那(28)が16日、都内で現役引退会見を行い、自らの口で決断までの経緯を明かした。最後の大会となったパリ五輪についてや、男子代表の夫・西田有志(24)への思いも告白。涙はなく、笑顔で-。22年間の競技生活に幕を下ろし、第2の人生を歩み始める。【取材・構成=勝部晃多、飯岡大暉】
◆決断
グレーのワントーンコーデに身を包んだ古賀は、決断までの経緯を、時折白い歯をこぼしながら打ち明けていった。
「2024年8月3日のパリ五輪の試合をもちまして、キャリアを終える決断をいたしました」
転換点は21年東京五輪。初戦のケニア戦で右足首を負傷し、1次リーグ敗退を喫した。「ずっとかけてきた東京五輪だったので、気持ちも本当に落ちてしまっていた」。この時に「終わりにしよう」という思いもあったという。
それでも、同時に「日本代表として、まだまだやり残したことがあるんじゃないか」と思い悩んだ。そんな姿を見た真鍋監督から主将に任命され、「全力で走り続けようと思った」と決断。「主将をやると決めた時からパリ五輪で選手は引退する。いつまでやるか分からない状況でプレーするより『ここまで走りきる』と決めてプレーしたい」と花の都をゴールに設定し、走り抜けることを決めた。
「パリで最後にするね」。そう家族にも伝えて、臨んだ3年間。重圧に押しつぶされそうになることもあったが「話を聞いてくれる仲間やチームのみんながいた。たくさんの方に支えられてなんとかやってこられた」。熊本信愛女学院高2年時に初選出されてから12年。全力を貫いた代表生活だった。
◆パリ五輪
パリ五輪を競技人生の集大成に選んだ。12年ロンドン大会以来12年ぶりのメダル獲得の目標は果たせなかったが、悔いはない。「チームとして戦うためにずっと練習をしてきて、積み上げてきたものは少しも消えない。私含めてみんな本当に頑張った大会だった」と、すがすがしい表情で振り返った。
ケニアとの1次リーグ最終戦がラストマッチとなった。決勝トーナメント(T)進出の可能性は少なく、試合前から「ほぼほぼ最後になるなっていうのは分かっていた」。そんな中、円陣では選手やスタッフから「紗理那のためにも頑張ろう」という言葉が上がり、「ちょっと泣きそうになった」という。試合は3-0のストレート勝ち。「最高のチームだったなと思いつつ、これがこの最高のチームでやる最後の試合になるかもしれないと思うと悲しくなった」と、試合後の号泣の理由を明かした。
22年の競技生活を全うした。「東京からパリまでやると決めた3年間は私自身、成長したんじゃないかなってすごく思う」と回顧。「大変な時期でもあったけど、一番成長を楽しめてた時期かな」。最後までやり切ったからこそ、笑顔だった。
◆今後
今後の予定については「全くの未定」としながらも、「少しでもバレーボールに携わっていけたらいいなと思う」と思い描いた。関係者からも、指導者として早期の現場復帰を望む声が上がる。それでも、古賀が今何よりも「かなえたい夢」は「夫のお世話」だという。
22年末に男子代表アタッカーの西田有志との結婚を発表。これまでSNSでも仲むつまじい様子を見せてきた2人だが、お互いにクラブや代表活動で多忙な生活を送ってきた。4歳年下の夫は「苦しい時に絶対に私の味方でずっといてくれた」と心の支え。「私は本当に思ったことをすぐに言っちゃう性格なので、ムカつくことも楽しかったことも全て言っていた。本当に大変だっただろうなって」と思いやった。「とても感謝している。これからはお世話を頑張りたい」と、第2の人生に胸を膨らませていた。
○…西田が愛妻をねぎらった。古賀の引退会見に駆けつけると、写真撮影で登壇。司会から予定外のあいさつを求められ困惑気味だったが、「僕の奥さんになっていただいたんですけど…」と切り出した。そして「長い現役生活、お疲れさまでした。引き続き、自分たちでいい家族を築き上げていきます」と宣言。妻の最後の晴れ舞台を、愛のメッセージで締めくくった。
◆古賀紗理那(こが・さりな)1996年(平8)5月21日、佐賀県吉野ケ里町生まれ。ポジションはアウトサイドヒッター。5歳で熊本に引っ越し、小2で本格的に競技を始める。大津中、熊本信愛女学院高と進み、高2時に日本代表初選出。卒業後はVリーグNECに入団し、3度のMVPを受賞。東京五輪後に代表キャプテンに就任。22年末に男子代表アタッカーの西田有志との結婚を発表。180センチ。最高到達点305センチ。