フェンシング男子フルーレ日本代表の主将、松山恭助(23=JTB)がSNSに「毎日投稿」して話題になっていた動画が、充実の第1章フィナーレを迎えそうだ。

「自宅で出来るフェンシングの練習を載せました!」

そんなツイートで4月3日に開始宣言してから、今月30日まで58日連続59本のレッスン映像をアップ(4月21日は1日2本)。律義に「こんにちは、松山恭助です」と一礼してから始まる配信は、新型コロナウイルス感染拡大の影響で全体練習自粛、自宅待機を余儀なくされた中、競技テクニックの基礎から応用、トレーニング法や食事メニューまで紹介してきた。

構え、足の運び方からファンデヴ(有効面を突きにいく)といった基本動作の発展系、得意とするコントルアタック(カウンター攻撃)やプリーズオフェール(相手の攻撃動作前の剣をたたいて突く)などの高等技術のノウハウを、惜しげもなく伝授。「極意を教えちゃいます」と。

5月30日のツイートでは「毎日投稿も月曜(6月1日)で60日目になり、火曜日から段階的にフェンシングの練習も始まりそうなので、あと2回で終わりです!」。激変した日常の中で考案し、1日も欠かさなかったチャレンジに区切りを付けることを表明した。

この日までに応じた電話取材では、取り組みに懸ける思いを語った。「東京オリンピック(五輪)の延期は、今夏を目指してきた者として残念だったけど、日本や世界の情勢を見れば、競技者ではなく人間として決定に賛同することができた。この期間に何ができるかを考えた時、今までフェンシングの選手って、あまり配信とかしていなかったな」と感じたことが挑戦の理由だ。

16年リオデジャネイロ五輪の後、男子フルーレ日本代表のキャプテンを太田雄貴(現日本協会会長)から受け継いだ責任感もあった。緊急事態宣言が発令される前に、行動に移したかったという。

未来を担う少年少女のフェンサーだけでなく、新規ファンも掘り起こしたい。時に、ルールや用語の解説も加えて敷居を下げるのは「東京五輪を応援されて迎えたいから。見てくれるかな、役に立てるかな、松山恭助という人間を知ってもらえるかなと思いながら。フェンシングは、やっぱり五輪で勝たなければ注目されないスポーツなので」。

競技の現状を受け止めつつ「大舞台で勝って有名になるのは前提だけど、来夏まで1年超に延びた中、そこまでの道のりも知ってもらって、認知してもらって、応援してもらえれば力になる」。だから1日も欠かさず続けられた。

撮影は都内の自宅で。家族で暮らす一軒家の一室をトレーニングスペースを設け「技、戦い方、考え方やフェンシングに必要なフィジカル要素まで。もう何でもあり」がテーマ。本業である、代表のオンライン合同サーキットトレーニング(週2回)や上半身と下半身の強化(週2回ずつ)を行う合間に、練習、収録、編集の作業を繰り返す。週1日のオフも配信だけは休まない。2歳上の兄でフェンシング経験者の大助さんを相手に突く動きは、教科書のような動画に仕上がっていた。

こだわりは「すべて2分以内に収めている」こと。「尺が長いと、与える情報が多いと頭に入らない」。撮りだめはなく「毎日、撮って出し」の理由も、収録や編集を通して「あらためて自分の長所や短所、思考に気付くことが多い」からだ。

「もし五輪が今夏のままだったら、ピークを合わせるだけで終わっていたかもしれない。今は来年に向けて基礎を見直しつつ、新たな技も習得したい意欲が出てきた」と好影響を感じている。

精神面も変わった。「偉そうに動画を配信しているからには、自分の生活も正さないといけない。フェンサー、アスリートの模範的な存在にならないと。4月から社会人にもなったので」。早大を卒業。昨秋スポンサー契約を結んだJTBの支援を受け、競技に専念できている。

「以前はダラダラしながら起きて朝食を取らない日もあった」と当たり前の環境に甘える自分もいたが、挑戦をきっかけに「今の生活リズムは一定で、ほぼ狂いがない」。その1日とは、基本的に以下の通りだ。

▼9時 起床

▼10時 新聞を読みながら朝食(自ら用意。シリアル、目玉焼き、飲むヨーグルト、バナナ)

▼10時30分 体力トレーニング(~12時30分)

▼13時 昼食(ここも自分で用意。サラダボウル、納豆、白米150グラム。朝昼ともメニューは変えない)

▼14時30分 動画撮影(編集も含め、約1時間30分ほど)

▼16時 室内バイク、自宅屋上でフットワーク練習など(1時間)

▼17時 英語の学習(昨年、英検準2級を取得。今年は2級を目指し、1時間)

▼19時 夕食(母親の手料理。白米300~350グラム、肉か魚、みそ汁、サラダなど晩ご飯だけは日替わりでバランス良く)

▼20時 休息を兼ねて再び英語習得

▼21時 フェンシング練習(兄を相手に的突き)

▼22時 入浴

▼23時 就寝

加えて最近は、オンライン会議システム「Zoom」を利用したトレーニング教室も開講。5月31日の午前には約90人と交流した。「言い方は良くないかもしれないけれど…」と前置きした上で「今この時期を、楽しめました」と声を弾ませる。緊急事態宣言が全面解除され、日本代表の練習再開は目前。そこまで、この生活を突き詰めるつもりだっただけに納得の締めくくりとなる。

逆境でも「不思議と苦にはならなかった。できなかったことに取り組めるチャンス。ここで行動する人、しない人で差が出るだろうなと。技術的にも体力的にも、1人の人間としても」と思い至った今回の新型コロナ禍。実際に試行錯誤を重ねた自負が、日本フェンシング界の悲願である初の金メダルへの、裾野拡大へのベースとなる。

動画配信にも活路を見いだせた日々-。いつか振り返った時、自信を持って転機になったと言えるよう今後の活動に生かしていく。【木下淳】

※松山の動画は公式SNSで見返すことができる。

▼ツイッター

https://twitter.com/kyosuke_1219

▼インスタグラム

https://www.instagram.com/kyosuke_matsuyama/

◆松山恭助(まつやま・きょうすけ)1996年(平8)12月19日、東京都台東区生まれ。4歳から競技を始め、小学校5年で代表入り。東亜学園高時代に太田雄貴(現日本協会会長)以来のインターハイ個人3連覇を達成した。早大では世界ジュニア選手権、ユニバーシアードの団体で金メダルに輝いた。16年リオ五輪はトレーニングパートナーを務め、引退した太田から男子フルーレ主将を受け継いだ。同年の日本選手権を初制覇。19年アジア選手権の団体も金。国内ランク1位、世界ランク34位。180センチ、75キロ。血液型B。