アテネ五輪では大借金…「東京」延期に人ごとでは

04年8月、アテネ五輪の開幕を前に、パルテノン神殿に到着した聖火(AP=共同)

<国と五輪~オリンピックがもたらしたもの~>

北島康介氏の名セリフ「ちょー気持ちいい」が飛び出した2004年(平16)のアテネオリンピック(五輪)。五輪発祥の地で開かれた大会は、その後、欧州全体を巻き込む大問題の一因となる。巨額の財政赤字、予定を大幅に上回る開催経費、延期に伴う追加負担も予想される日本にとってひとごとではない。アテネで何があったのか。龍谷大の松尾秀哉教授(西欧政治史)に聞いた。

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古代五輪発祥の地にして第1回近代五輪の開催地、ギリシャ・アテネに五輪が帰ってきたのは04年。近代五輪100年にあたる96年の開催は、アトランタに譲ったが、97年の国際オリンピック委員会(IOC)総会で108年ぶりの開催を勝ち取った。

松尾教授 近代五輪100年の記念大会を発祥の国で、という「栄誉」を求める意識以上に、ギリシャにとっては切実な事情があった。お金です。民間の力が弱いギリシャは、経済の主体は国です。五輪はギリシャの主産業の観光への好影響をもたらすし、84年のロサンゼルス大会が商業的な大成功を収めたことで「五輪はもうかる」という「神話」があった。五輪の経済効果への期待が、最も強い動機だったと見ています。

74年に軍事政権が倒れ、民主化したギリシャは、81年には現欧州連合(EU)に加盟。東西冷戦下、西側民主主義国の一員として認められるようになった。

松尾教授 民主化後の政権党は、社会保障の充実や赤字の国営企業支援など、バラマキ政策によって国民の支持を得ていた。原資は国の借金です。当初、現EU加盟に反対していた政権が、加盟にかじを切ったのは、財務体質を変えず、バラマキを続けるためには、EUからの補助金や借金が必要だった。当時は、他に財源を捻出する方法はなく、致し方ない面もありました。五輪開催も、この文脈の上にあると考えます。

五輪だけでなく、政治思想や哲学、文化など現在の欧州の基礎は古代ギリシャで生まれた。「欧州文明の源流」と言われる。古代ギリシャは紀元前に崩壊。現在のギリシャ共和国は1830年に建国した新しい国で、古代ギリシャとは国家としての連続性はない。だが、今も「ギリシャなくして欧州なし」という意識は、欧州各国で共有されているとされる。

松尾教授 EU加盟に際して、基準を満たしていなかったのに認められたのは「文明の源流」という欧州人のギリシャへの「敬意」が、ハードルを下げたのでは、という論考もあります。五輪開催に当たっても「古代五輪」「文明の源流」というイメージが、誘致に有利に働いたことでしょう。アテネ五輪の開会式では古代ギリシャ、民主主義の発祥といったイメージの演出がなされました。EU、五輪、その後のユーロ導入と、ギリシャは古代のイメージを戦略的に使い、EU諸国の「源流」意識が監視の目を曇らせたという背景があったのではないかと思います。

ギリシャが五輪誘致を計画していた90年代、欧州では共通通貨ユーロ導入が構想されていた。ギリシャのような経済力の弱い小国にとって、ドイツやフランスといった大国と同じ価値の通貨を持つ経済的メリットは大きい。だがユーロ導入には、緩みきった財政規律を見直す必要がある。ギリシャは、多額の投資が必要な五輪開催と、緊縮財政を求められるユーロ導入という矛盾に直面する。

松尾教授 ギリシャは04年開催に向けて、競技場建設のほか、地下鉄や空港など社会基盤整備にも多額の投資を重ねます。「五輪開催」は、新たな借金を正当化する理由になり、国家財政をさらに悪化させた。一方、財政再建で赤字を減らしたと主張して、01年にユーロ導入が認められたが、これが粉飾で、やがて巨額の赤字を抱えていることが判明。09年、財政危機が明らかになります。

アテネ五輪は、インフラ整備に加え、テロ対策など運営にも出費がかさみ、経費は当初予定の2倍に膨れあがったとの試算もある。チケット販売は予定の半分にも満たず、収入面でも見込みを下回ったとされる。一方、ギリシャ財政危機は、米国発のリーマン・ショックによって大打撃を受けていた欧州経済全体を危機に巻き込んでいく(10年のユーロ危機)。

松尾教授 ロゲ前IOC会長は、新聞のインタビューで「アテネ五輪が、ギリシャの借金を増やした」と述べています。ギリシャ危機が引き金となった欧州の経済危機は、スペインやイタリアなどに波及。ユーロは下落し、加盟国救済に走るEUに対する不満が高まって、反EU、EU懐疑派の台頭を招いた。後づけの暴論めきますが、英国のEU離脱は、アテネ五輪が一因と言えるかもしれない。五輪はナショナリズムを高揚させ、借金の目くらましになる。短期的な利益や経済効果ではなく、長期的な視点に立った開催計画でなくてはなりません。

◆松尾秀哉(まつお・ひでや) 65年、愛知県生まれ。龍谷大学法学部教授。専門はベルギー政治史、西欧政治史。著書に「ヨーロッパ現代史」。中日ドラゴンズと早見優の熱きファン。

<アテネ五輪の主な話題>

◆競泳男子・100メートル平泳ぎ 金メダルを獲得した北島康介は「チョー気持ちいい」とコメント。北島は200メートル平泳ぎでも金。08年北京大会でも両種目を連覇する。

◆男子ハンマー投げ 優勝したアドリアン・アヌシュ(ハンガリー)が、競技後のドーピング検査を拒否し失格。2位の室伏広治が、繰り上げで金メダルを獲得。

◆マラソン 女子では野口みずきが金メダル。00年シドニーの高橋尚子に続き、同一国による初の女子マラソン連覇を果たす。

◆女子レスリング アテネで正式種目に採用され、吉田沙保里が55キロ級で金メダル。08年北京、12年ロンドンと続く3連覇、「霊長類最強」の原点となった。

◆柔道 男子60キロ級で野村忠宏が3大会連続、女子48キロ級では、谷亮子が2大会連続で、いずれも金メダルを獲得した。

◆野球 長嶋茂雄を監督に迎え、松坂大輔(西)、城島健司(ダ)、小笠原道大(日)、高橋由伸(巨)らを招集。初のプロ選手のみの編成で臨んだ。だが、大会を前に長嶋は脳梗塞に倒れ、チームは銅メダルに終わった。