震災にコロナ…漁場への思い背負い聖火「感動した」

大漁旗を振って応援する知人の前で笑顔で聖火ランナーを務める小野春雄さん(撮影・鎌田直秀)

東京オリンピック(五輪)・パラリンピックの聖火リレーが26日、福島県内各地で行われ、新地町を走った漁師の小野春雄さん(69)は、東日本大震災の津波で亡くなった同じ漁師の弟常吉さん(当時56)や、東京電力福島第1原発事故によって風評被害を受けている漁場への思いを背負った。家族や仲間が大漁旗を振る沿道の応援に「人も多くて、みんなが盛り上げてくれたので、本当に興奮したし感動した。震災からの復興も全世界に知ってほしいし、コロナも、先月の地震もあったが、元気な姿を見せられた」。Vサインと笑顔を世界に届けた。

震災が起きた10年前の3月も、コウナゴ漁が最盛期だった。漁から帰宅後に強い揺れを感じた。2つの漁船を守るために、港へ急ぎ、津波に備えて2人で手分けして沖に船を出した。常吉さんからは「船が横になった。もうダメだ」。最後のやりとりだった。エンジンの故障で転覆し、津波にのまれ、船とともに行方不明となった。新地町の約2割は大津波に襲われた。自宅も全壊したが、他の家族は無事だった。常吉さんの遺体が発見されたのは、約5カ月後。弟の死に責任も感じ、体調も崩した。心身を回復させてくれたのも、海だった。

震災後、漁の試験操業が始まるまで1年以上を要した。最初は放射線の数値が出ないタコとツブ貝しか売り物にならなかったが、元気を取り戻すきっかけにはなった。自身の体力増進と常吉さんの供養を兼ねて、友人と2人で、約200 キロ 離れた山形県にある羽黒山、月山、湯殿山の出羽三山まで歩いて参拝したこともある。「海はオレらを生かしも殺しもする。それまでは井の中の蛙(かわず)で海しかしらなかったけれど、世間のいろいろなことを勉強させてもらった気もしている」。

少しずつ漁業エリアや捕獲魚種の解禁が広がり、すべての魚が捕れるようになったのは昨年春から。「ずっと捕ってなかったからなのか、原因が分からないが、量がたくさん捕れる。でも、魚によっては価格が10分の1くらいにしかならない。福島の海というだけで風評被害があるんですよ。苦しいよ」。追い打ちをかけるように水素爆発による廃炉の汚染水を海に放流する国や東電の計画もある。「また逆戻りになっちゃうよ」。反対運動の先頭にも立ち「3人の息子も漁師になった。オレも100歳と言わず120歳まで漁を手伝って、現役を続けて福島の海を守りたい」。

健康維持のために、新地町にある標高429・3メートルの鹿狼山に頻繁に登っている。「本当は去年、スイスに行ってホームステイしながら、高い山にも登ろうと思っていたんですよ。でもコロナでダメになっちゃった」。四国八十八カ所巡りも、コロナで十九番目までの巡礼で中断中だ。

今年の9月からは、漁の規制が、さらに緩和される予定だ。「津波が海底のものを陸にあげちゃったから海水もきれいになった。水がきれいな所にいるシラウオが10倍くらい増えた。ヒラメもこんなに大きいのが捕れるようになった」。両手を1メートルくらい広げて、明るい未来へ笑顔があふれた。「菅総理も『福島の復興なくして東北の復興なし。東北の復興なくして日本の再生なし』って言っている。長生きして、福島から元気、希望、夢、たくさん届けなきゃなんめえ」。福島なまりの言葉には、聖火リレーの走り同様、パワーに満ちていた。【鎌田直秀】