東京五輪は何を残したか 日本社会が忘れかけた姿勢があったように思う

スケートボード女子パーク決勝 演技を終え、抱えられる岡本碧優(右から2人目)

<TOKYO EYE>

今大会の日本選手の活躍は目覚ましかった。総メダル数でも金メダル数でも、過去最高を上回った。金メダルに至っては全体の3位に位置付けた。

ただ、今回のオリンピック(五輪)は新型コロナウイルスで各国の環境が違う。日本は選手村以外でのトレーニングも可能だったので、バブルの中で行動せざるを得なかった他国よりも有利だったと言わざるを得ないだろう。国別メダル数は参考程度に捉え、この大変な状況でここまでたどり着いた各国の選手1人1人の健闘をたたえたい。

日本は期待値調整がうまくいった競技が結果を出した。柔道は試合が事前にあまりなかったこともあり、状況がわからなかった。またスケートボードも事前にはあまりメディアで触れられなかった。地元の国際大会は準備が十分にできるという点では有利だが、地元の重圧があるという点では不利といわれている。その重圧をうまくかわせた競技が結果を出した。

印象的だったのは、陸上の男子400メートルリレーとスケートボードの岡本碧優(みすぐ)選手だった。リレーはマークを置き、そこを前の走者が通過した時に次の走者が走りだす。マークの位置を遠くに置けば置くほど、バトンはギリギリで渡るのでスピードも距離も稼げるが、もし届かなければ失格になる。しかも30メートルのゾーンが設定されていて、その範囲内で渡さなければならない。チキンレースのようなものだ。今回は予選のマークより少し遠くに置いていたように見えた。予選の状況が芳しくなかったのでリスクをとってメダルを取りにいったのだろう。結果、バトンが渡らず失格した。

スケートボードの岡本選手も、果敢に大技にチャレンジし続けた。最後の大技を失敗して泣いている岡本選手を参加した選手みんなが担ぎ上げたシーンは、今大会で最も感動的なシーンだった。国籍、人種、勝敗を超え、挑戦した人間をたたえる姿こそが五輪の精神を体現していたのではないか。

選手たちはただリスクをとっているのではない、事前にデータを集め研究し、その上でリスクをとっている。事実の積み重ねのないリスクテイクは、ただの博打(ばくち)にすぎない。しかしいくら事実を集めても、最後は確率の問題にしかならない。リレーは、何割かは失格する可能性を受け入れてリスクをとった。リスクは本来の意味では危険ではなく、不確かさのことだ。自分の限界を越えるには不確かな道を選択せざるを得ない。

人口とGDP(国内総生産)でメダル数の半分は説明できるといわれている。これから30年は中国とインド、アジアがメダルを量産し始めるだろう。人口も減少し、GDPも低下しつつある日本は合理性を追求し、リスクを取り続けるしか戦う道はない。

選手たちは象徴的だった。逆境に立たされ、五輪の開催も危ぶまれた。この5年ではない。人生の十数年を費やして選手たちは五輪の場所に立っている。せっかく手に入れたその場所で、さらにリスクをとって上を目指そうとしている姿には、日本社会が忘れかけた姿勢があったように思う。

確実な未来などない。安心もない。未来は常に不確実で、逆境の連続だ。その中でも感情に流されず事実を重視し、研究してトレーニングを積み、リスクを取り続けている選手たちの姿には、本当にたくさんのことを学ばされた。(寄稿)

◆為末大(ためすえ・だい)1978年(昭53)5月3日、広島市生まれ。陸上男子400メートル障害で世界選手権で2度銅メダル。五輪は00年シドニーから3大会連続出場。現在は執筆活動、会社経営を行う。