ボッチャ杉村英孝「本当にシビれる試合」死闘制し銀メダル以上確定

男子個人準決勝 第4エンド、投球する杉村(撮影・河田真司)

<東京パラリンピック:ボッチャ>◇混合個人準決勝(BC2:脳性まひ)◇31日◇有明体操競技場

ボッチャ個人で、杉村英孝(39=伊豆介護センター)が銀メダル以上を確定させた。BC2(脳性まひ)の準決勝で12年ロンドン大会覇者のマシエル・サントス(ブラジル)に3-2で勝利し、1日の決勝に進んだ。日本勢は前回大会のチームで2位に入っているが、個人では初のメダルを決めた。

   ◇   ◇   ◇

前々回大会覇者サントスとの接戦を制し、杉村が銀メダル以上を確定させた。日本選手団の声援に大きなガッツポーズで応えた後、「本当にシビれる試合でした」。

ボッチャは「地上のカーリング」とも言われる。緻密な戦略とボールコントロールが光った。2-2で迎えた最終第4エンド。相手が先に6球を消化した時点で、杉村には2球が残っていた。ジャックボール(目標球)の右わずかな距離にサントスの赤い球。しかし、杉村の5投目は赤球の目標球から遠いサイドに付くミスショット。

最後の1球を目標球に近づけられなければ敗れる。「緊張したけど、そこからの立て直しはずっと練習してきた。十分に間を置いて考えることができた」。各エンド4分の持ち時間残り0秒で投じられた青い球は目標球にぴたり。3度の雄たけびが会場に響いた

先天性の脳性まひで手足が不自由な杉村がボッチャと出会ったのは、静岡市内の特別支援学校の高等部3年生の時。「仲間と集まるツール」として、徐々に競技の奥深さにひかれて力をつけた。

初めてのパラリンピックだった12年ロンドン大会はトーナメント方式の1回戦で敗退。世界のレベルを痛感した。以後、脳性まひでは珍しい筋力トレーニングを取り入れるなどし、現在は世界ランキング2位。16年リオデジャネイロ大会ではチームで日本初の銀メダルに貢献した。今回はコロナ禍で初の延期に加え、大会前は競技の環境が制限された。重度の障がい者が多いため、代表活動も1年近く止まった。それでも静岡・沼津市内につくった練習拠点で球を投げ続けた。

「リオ以上の結果を残して知名度を上げない」。結果にこだわって臨む3度目の大会。決勝は前回大会金のワッチャラポン(タイ)と対戦する。気負いはない。「チャレンジャーとしての気持ちを忘れず戦い抜きます」と全てをぶつける。【平山連】

◆杉村英孝(すぎむら・ひでたか)1982年(昭57)3月1日、静岡県伊豆市生まれ。先天性の脳性まひのため両手足が不自由で、特別支援学校の高等部3年の01年にボッチャを始める。パラリンピックは12年ロンドン大会に初出場。16年リオデジャネイロ大会で3人1組のチーム(脳性まひ)で、日本勢初メダルとなる銀メダルを獲得。伊豆介護センター所属。