前園真聖“マイアミ”から25年も忘れられない衝撃と今も残る奇跡の意義

アトランタ五輪を語る前園真聖、五輪サッカー代表に熱いエールを送った(撮影・柴田隆二)

<前園真聖が語るアトランタ五輪“マイアミの奇跡”25年目の真実 その1>

東京オリンピック(五輪)から四半世紀前の1996年(平8)。アトランタ五輪で日本がブラジルを1-0で撃破した五輪最大の番狂わせと呼ばれた“マイアミの奇跡”は、世界サッカー史にも大きな1ページを刻み込んだ。

日本代表主将として、その立役者となったタレント前園真聖(47)が日刊スポーツに単独取材に応じ、25年目の真実を激白した。第1回は、25年の時を経て振り返る“マイアミの奇跡”の90分+α。【取材・構成=村上幸将】

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ブラジルとの一戦は、96年7月22日にフロリダ州マイアミのオレンジボウルで行われた。ブラジルは国際大会で唯一、獲得していないビッグタイトルである五輪の金メダルを獲得するため、FWサビオとロナウド(登録名ロナウジーニョ)MFジュニーニョ・パウリスタ、DFロベルト・カルロスらA代表でも主力に食い込んでいたメンバーを中心に、この大会から認められたオーバーエイジでFWベベト、MFリバウド、DFアウダイールを加えた。明らかに本気のチーム編成だった。

そのブラジルを前に、日本はシュートを雨あられのように浴び、シュート数4対28と圧倒された。それでもMF服部年宏がジュニーニョをマンマークするなど、連動した守備で耐えた。そして後半27分、服部がロナウドのドリブルを止め、そのボールを拾った日本は反撃に転じた。前園が中盤で一瞬、タメを作ってから左サイドの路木龍次にパス。その路木が上げたアーリークロスに、前園の鹿児島実業高の後輩のFW城彰二が突っ込む。そこに迫ったアウダイールとGKジダが交錯し、ゴール前にこぼれたボールを、MF伊東輝悦が右足で押し込んだ。

前園 ロナウドもあの後、PSVからバルセロナに行き…これからという時だったけれど、もうスターになっていたし。ジュニーニョ・パウリスタがいて、ロベカルでしょ。オーバーエイジのリバウドも、後にバロンドール取ったくらいですからね。ベベットもオーバーエイジで一番いい時…日本に来た時(00年に鹿島アントラーズ入りも8試合1得点で退団)みたいじゃなく、良い時だったし。そして五輪翌年にレアル・マドリードに移籍して、活躍したサビオでしょ…本当にすごかったですよ。攻めたかったけれども、それは出来なかったですからね。

ボールすら奪えない…というのが、ピッチ上での率直な感想だった。

前園 そういう感覚だったんですよ。試合に集中して勝った…それは、もちろん、そう(勝利したということ)なんだけれども、要所要所のプレーでは常に試合中、やっぱり世界との差を痛感させられていました。1-9くらいで僕らは全く、何もプレーできなかった、ずっと守備に追われていたイメージでしたよ。そう思っていたけれど、後々、振り返って90分見ると、意外とボールをしっかり奪って、つなごうとしていたりとか、ボールを奪いにいけていたり、ボールが回っていたなぁというシーンもあった。その後の攻撃は単調になっていたけども、自分が思っていた以上にやれていた。(攻める時間帯があったことも)忘れていたくらいの衝撃だったと思うんですよね。

前園がMCを務めるNHK BS1の番組「サッカーの園」6月27日放送回には、ジュニーニョがVTRで出演し「日本は1人、2人と連動して守備をして、スピードもすごく速かった。時間とともに日本が進化していっているのを感じた」などと称賛した。

前園 (ジュニーニョの出演は)ビックリしました。2006年(平18)にドイツW杯の取材に行く前にブラジルに行った時、ロベカルに同じようなことを聞いたら、彼も覚えていて。ブラジルが国として日本に負けたのは当然、初めてだから「自分にとっては、もう1番の屈辱だった」と言っていたから。でも、あれから25年もたって、やっぱりジュニーニョも覚えていて…改めて対戦した彼らの言葉を聞くと、あの試合がインパクトを残したんだと思いますよね。

ただ、日本代表は、その後、FWヌワンコ・カヌを擁し、金メダルを獲得したナイジェリアに0-2で敗れ、第3戦でハンガリーに3-2で逆転勝ちも得失点差で1次リーグ敗退。2勝1敗での1次リーグ敗退は五輪サッカー史上、初だった。

前園 やっぱり、世界と戦う時は、そういうものだなと思った。得失点差とか、紙一重のところを突破しないと、やっぱり上には行けないんだなと感じました。2勝しても足りないんだ…手が届かないもんだなと、アジアでは経験できない厳しさを感じましたね。

第2回はアトランタ五輪後、オファーが来たものの実現しなかった、スペイン1部セビージャへの移籍と、ヴェルディ川崎(現東京ヴェルディ)への電撃移籍から狂っていった歯車。

◆前園真聖(まえぞの・まさきよ)1973年(昭48)10月29日、鹿児島県生まれ。鹿児島実を経て92年に横浜フリューゲルス入団。アトランタ五輪翌年の97年にV川崎(現東京V)に移籍も低迷。ブラジルのサントス、ゴイアスへの期限付き移籍を経て欧州で移籍を模索も、00年のJ2湘南を経て01年に東京Vに復帰。02年に退団し、Kリーグに挑戦も05年に引退。09年にビーチサッカーW杯に出場。解説者として活動も、13年10月に泥酔してタクシー運転手に暴行、逮捕。示談が成立後、断酒を宣言しタレントとして再起。J1通算191試合出場34得点。日本代表として国際Aマッチ19試合出場4得点。