【オリックス井口和朋】戦力外→育成→絶体絶命の初登板…逆境の乗り越え方/連載15

結果を残さないと、取ってもらった意味がない―。オリックスの井口和朋投手(30)が、感謝と悲壮な決意を語りました。昨年オフに日本ハムから戦力外通告を受け、オリックスに育成契約で拾われました。開幕前に支配下登録され、4月3日の西武戦で早くも新天地デビュー。そんな新戦力右腕に胸の内を聞きました。

プロ野球

◆井口和朋(いぐち・かずとも)1994年(平6)1月7日、神奈川・横浜市生まれ。横浜中山小1年(DMファイターズ)で野球を始め、武相―東農大北海道オホーツク。15年ドラフト3位で日本ハムに入団。21年に43試合に登板するなど主に中継ぎとして活躍。23年オフに戦力外通告。同年12月にオリックスと育成契約。今年3月26日に支配下登録された。175センチ、75キロ。右投げ右打ち。

「取ってもらった意味ない」

――初登板がすごい状況。6回に先発の山下舜平大が残した無死満塁で登場し、内野ゴロによる1点にとどめた。どんな心境だったのか

僕と(吉田)輝星がブルペンで(肩を)つくっていて、輝星かなと思いながら。もしこの場面で投げるなら、もう開き直るしかないなと思って。初登板だし、場面も場面だし、満塁だし、何ができるかと言えば、初球から勝負いくしかないんですよね。

正直、ある程度(ベンチも)無理な場面で出している。それがある中で「どんどん勝負してくれ」っていうことだと思ったので、結果というよりも、とにかく初球で勝負決まるなと思って投げました。

――結果的に左打者の7番西川を初球で抑えた。外角へのスライダーを投げて遊ゴロだった

バッターが初球から打ってくるかなという感じがあった。結果論でいえば、あのピッチャーゴロ(※)を取れていれば、話も変わっていたと思います。ただ投球としては、できることはやったというか。あの場面でできることをやるしかなかった。

※投手への強いゴロに素早く反応も後ろにはじき、二塁封殺となる遊ゴロ。この間に三塁走者が生還

――最高の火消しだった

あとは、ああいうゴロを捕れるように、やっていくしかない。

――難しいゴロでしたよ

そうですかね。けっこう捕れるかなと思ったんですけど。なんなら捕ったらトリプルプレーできるんじゃないか、くらいでしたから。まあでも、逆にあれくらい開き直るしかない場面なら、開き直りやすいです。

――あの試合で1、2を争う貢献度でした。ただ初登板を「楽しむ」という余裕はなかったかもしれない

立場的に僕、今年結果残さないと終わりなんで。

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