【古田敦也氏】逆境に立ったあなたへ 指名漏れ屈辱と「メガネ捕手」偏見を乗り越えて
「あきらめるな!」。元ヤクルト監督の古田敦也氏(61)が9月21日、群馬県桐生市で行われた野球を活用したスポーツ振興プロジェクト「球都桐生から野球の未来を考える」の講演会に登壇。ドラフト会議での苦い経験を踏まえ、子どもたちや若者へ向けて熱いメッセージを送りました。
プロ野球
★古田氏が語った主な内容
- 87年ドラフトで72人にも入れなかった屈辱
- 「メガネ捕手はプロで難しい」に腹が立った
- 母の言葉が変えた 2年後への誓いとその結末
◆古田敦也(ふるた・あつや)1965年(昭40)8月6日、兵庫県生まれ。川西明峰高から立命大、トヨタ自動車を経て、89年ドラフト2位でヤクルト入団。90年に新人捕手では史上初のゴールデングラブ賞を獲得。91年には打率3割4分でセ・リーグ初の捕手首位打者に輝いた。93、97年にMVP、ベストナイン9度、ゴールデングラブ10度。05年4月には史上32人目の通算2000安打を達成。98年から05年、労組日本プロ野球選手会の会長を務める。15年野球殿堂入り。現役時は180センチ、80キロ。右投げ右打ち。
名前が呼ばれなかった87年ドラフト
名前が呼ばれない。
87年ドラフト会議。
1位、2位、3位…。会場の空気が少しずつ変わっていく。それでも「古田敦也」の名前は出てこなかった。
立命大4年。春のリーグ戦で活躍し、大学日本代表にも選ばれた。ドラフトを前に、実家にはある球団から「上位で指名する」という電話も入っていた。
「おかんから『あっちゃん、電話あったで』って言われて。これは、いよいよプロに行けるんかなと思っていたんです」
期待は、いつしか確信に変わっていた。
ところが、4位になっても5位になっても名前はない。そして6位。最後まで呼ばれなかった。
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1990年入社。アマチュア野球担当としてシダックス監督時代の野村克也氏、2006年夏の甲子園を制した早実・斎藤佑樹氏など取材。
プロ野球ではロッテ・バレンタイン監督解任騒動。DeNAの球界参入から中畑清初代監督フィーバーなど担当。
ストレス発散は1人カラオケ(ミスチル縛り)とゴルフ。
