【元ロッテ香月良仁氏】永田町で多国籍チーム監督が語る 佐賀発、外国人との共生の形

元プロ野球選手が永田町でマイクを握りました。元ロッテ投手で、現在は九州アジアリーグの佐賀アジアドリームズ監督を務める香月良仁さん(42)が10月2日、衆議院第一議員会館で行われた「グローバルスポーツ共生シンポジウム」に出席。インドネシア、スリランカ、パキスタン、カンボジア、インド、米国(グアム)、韓国、日本といった多国籍の選手からなるチームの取り組みを紹介しました。外国人との共生社会実現のヒントになるかもしれません。

プロ野球




◆香月良仁(かつき・りょうじ)1984年(昭59)1月22日生まれ、福岡・久留米市出身。柳川―第一経済大から熊本ゴールデンラークスに進み、社業のスーパーマーケットで働きながらプレーを続ける。08年ドラフト6位でロッテ入団。10年4月29日西武戦(西武ドーム)でプロ初登板初先発。15年にはリリーフで自己最多40試合に登板。16年限りでロッテ退団。NPB通算65試合、4勝3敗、3ホールド1セーブ、防御率4・58。17年からは古巣のラークスでプレーを続け、18年に現役引退後はラークスのGM補佐。20年に自身の会社「R&Associates」を設立し、熊本を拠点に地域活性化事業に取り組む。23年11月、佐賀インドネシアドリームズ(現佐賀アジアドリームズ)初代監督就任。兄は元巨人の良太さんでドリームズのコーチ。180センチ、82キロ。右投げ右打ち。


◆佐賀アジアドリームズ佐賀県を拠点に活動。23年4月に発足会見を開き本格始動した。24年に佐賀インドネシアドリームズの名称で、九州アジアリーグ準加盟。25年からは佐賀アジアドリームズ。同年11月に西武と業務提携を結ぶ。26年1月には現地の子どもたちに野球を教えるアカデミーをカンボジアに開設した。


10月2日 衆議院第一議員会館であいさつする佐賀アジアドリームズのアサンカ選手(中央)、右は監督の香月良仁さん

10月2日 衆議院第一議員会館であいさつする佐賀アジアドリームズのアサンカ選手(中央)、右は監督の香月良仁さん


永田町進出「次は選挙?」



香月さんの活動が、ついに永田町に及んだ。シンポジウム前に立ち話をすると、「周りから『お前、次は選挙に出るんか?』って言われるんですよ」と笑っていた。出馬のためではなく、シンポジウムに声をかけられたからなのだが、「議員会館」と聞いた周りの人たちの反応は想像できる。


10年4月29日 ロッテ時代、西武戦でプロ初先発初勝利

10年4月29日 ロッテ時代、西武戦でプロ初先発初勝利


ユニホームを着ていた頃から、常に意欲的だった。少々の体調不良はひた隠し。「ばれたら(2軍に)落とされるから」と黙って投げていたこともあった。知識を求める姿勢は、グラウンドを離れても変わらない。遠征先へ移動中の空港で読書する姿が印象に残る。だから、現役を退いた後、自らの会社を作り、さらに独立リーグの監督、しかも他に例を見ない多国籍チームの監督になったと聞いて、そのたびに驚かされつつも、香月さんらしいと腑(ふ)にも落ちた。

そんな彼の取り組みが、国会議員も名を連ねる一般財団法人外国人材共生支援全国協会(NAGOMi)の目に留まった。外国人との共生と聞くと、意見は人それぞれだろう。だが、今ここで生活している同じ人間であることに違いはない。何より、佐賀アジアドリームズの存在はとても興味深い。一人一人が、外国人との共生を考えるきっかけになるのではないか。

シンポジウムで語った香月さんの言葉を紹介したい。

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1977年3月生まれ、福岡市出身。平和台球場がプロ野球観戦の原点。センター裏のうどんが美味しかった。高校ではラグビーにいそしんだが、背番号はだいたい18番。取材でも控え選手に引かれる理由かも。
大学卒業後は外務省に入り、旧ユーゴスラビア諸国で勤務。街中を普通にプロシネチキが歩いているような環境だったが、サッカーには入れ込まなかった。むしろ、野球熱が再燃。30歳を前に退職し、2006年6月、日刊スポーツ入社。斎藤佑樹の早実を皮切りに、横浜、巨人、楽天、ロッテ、西武、アマチュア、侍ジャパン、NPBと担当を歴任。現在はデスク、たまに現場。
好きな選手は山本和範(カズ山本)。オールスターのホームランに泣いた。