【全日本開幕企画〈下〉鍵山正和の言葉】GP欠場を決断、見るに堪えなかった息子の涙

2月の北京オリンピック(五輪)フィギュアスケート男子で、日本史上最年少メダル(個人銀、団体銅)を獲得した鍵山優真(19=オリエンタルバイオ/中京大)が、開幕する全日本選手権(25日まで大阪・東和薬品ラクタブドーム)で約9カ月ぶりに実戦復帰します。

7月末に痛めていた左足首は「疲労骨折寸前」で、異変に気付いたのは父正和コーチ(51)でした。グランプリ(GP)シリーズ全休を促し「見るに堪えなかった」という愛息の涙を前にしても「先は長い」と説得。反対に、全日本への出場だけは押し切ってきた優真から感じた成長とは。父子の葛藤の日々を「鍵山正和の言葉」としてお届けします。

フィギュア

<父正和コーチに聞いた息子優真の9カ月ぶり実戦復帰>

12月7日、練習中に父・鍵山正和コーチと言葉を交わす鍵山優真(左)

12月7日、練習中に父・鍵山正和コーチと言葉を交わす鍵山優真(左)

何回も話し合い全日本の棄権を促した

――優真選手にとって大変なシーズンになった

正和氏 そうですね。夏場に、けがをしたことが分かって。たぶん、それまでの間にも骨に傷は付いていたと思うんですけど、何かきっかけがあって、けがをしたわけではなくて積み重なったものだったんです。僕も気付くの遅くなって後悔しているんですが、ご覧の通り、今は滑ることができる段階まできたので、できることを探しながら練習している感じですね。

――優真選手は、常に「試合が好き」と話している中で欠場を判断した

正和氏 よく我慢してくれたと思いますね。「ジャパンオープン」の前に欠場を、棄権を促して、それでも最初は『出る、出る』と聞かなかったんですけど、直前になっても痛みも取れなかったので、棄権を決断してくれて。当然、GPシリーズまでに治るわけもなく、GPの方も棄権してくれた。彼の中では悔しい思いがあったと思いますが、よく判断してくれたと思います。

――欠場してからの練習の様子、話し合ってきたことは

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スポーツ

木下淳Jun Kinoshita

Nagano

長野県飯田市生まれ。早大4年時にアメリカンフットボールの甲子園ボウル出場。
2004年入社。文化社会部から東北総局へ赴任し、花巻東高の大谷翔平投手や甲子園3季連続準優勝の光星学院など取材。整理部をへて13年11月からスポーツ部。
サッカー班で仙台、鹿島、東京、浦和や16年リオデジャネイロ五輪、18年W杯ロシア大会の日本代表を担当。
20年1月から五輪班。夏は東京2020大会組織委員会とフェンシング、冬は羽生結弦選手ら北京五輪のフィギュアスケートを取材。
22年4月から悲願の柔道、アメフト担当も。