【ブルーペナント〈27〉】勝手に育っていった「ライオン」上田綺世 天性のパワー
「ブルーペナント」。
その存在を知っている人はどれほどいるでしょうか。日本代表選手が初めて国際Aマッチに出場した際に「育成年代に特にお世話になった指導者を申告」し、記念となるペナントを作成して贈る日本サッカー協会(JFA)の指導者表彰制度。今回はFW上田綺世(27=フェイエノールト)のルーツを紹介します。日本の絶対的エースの高校時代を知る茨城・鹿島学園の鈴木雅人監督(51)を訪ねました。上田は今季オランダ1部で25ゴールを奪い、得点王に輝きました。欧州主要リーグで日本人2人目となる偉業達成の礎を作った鈴木監督の「我慢」や高校2~3年での急成長などについて深掘ります。
サッカー
◆上田綺世(うえだ・あやせ)1998年(平10)8月28日生まれ。茨城県水戸市出身。中学時代は鹿島アントラーズノルテ所属。鹿島学園-法大。19年に法大を退部し、内定していた鹿島へ前倒し加入。22年夏にベルギー1部セルクル・ブリュージュ、23年夏にフェイエノールトへ移籍。19年5月に日本代表に初招集され、国際Aマッチ38試合16得点。21年東京五輪、22年W杯カタール大会に出場。182センチ、76キロ。(写真は、25年度年間最優秀選手賞初受賞時)
◆鈴木雅人(すずき・まさと)1975年(昭50)5月9日生まれ。東京都八王子市出身。帝京第三(山梨)、東海大学を経て、01年に鹿島学園に着任。同年からサッカー部監督に就任した。全国大会は夏冬合わせて23度出場。前回の第104回全国高校サッカー選手権大会では準優勝に輝いた。毎冬スペイン遠征を実施している。趣味は映画鑑賞。好きな作品は「ミッション・インポッシブル」シリーズ。家族は妻と1男2女。
「ドーンっていう強さ。動物みたいな感覚」
「ライオンみたいな選手です」。鈴木監督は世界的なストライカーの仲間入りした上田の高校時代についてそう評した。
上田の武器といえば、世界屈指とも称されるシュート、そしてスピード、跳躍力などが挙げられる。鈴木監督が百獣の王に例えた意図はこうだった。
「元々持ってる力がすごい。生まれ持った力強さというか、パワーというか、ドーンっていう強さ。動物みたいな感覚。シュート練習はやっていましたけど、全部においてすごく練習の虫だったかと言うとそういうレベルではなかった。動物たちも、トレーニングをするわけでもなく、あれだけパワーがあるわけですから、天性なものというのがやっぱりあるんだなと思いますね」
1、2年時は試合に絡むことすらできず
鈴木監督がそう話すのには訳がある。上田の成長曲線がそれを示している。
「綺世の場合は、2年生の終わり、3年生になる前の3月ぐらいですかね。元々良いものは持っていたんですけど、あの辺から急に体がぐんとひとまわり大きくなって、スピードもパワーもついて、なおかつ自信もついたんです」
それまでは目立った選手ではなかった。初めて見たのは中学3年。鹿島アントラーズノルテという鹿島の下部組織にいた頃だった。
「アントラーズノルテの練習ゲームかなんかを見に行って、そこまで目立ったというよりも、何人かその代の選手がうちに来たんですよね。それで綺世は多分ユース上がれず、うちより強い私立学校も受けたみたいなんですけど、ダメだったみたいで。僕はぜひ(来て下さい)、みたいな形になって、中学校まで行ったのは覚えています。水戸四中というところで本人と先生と話をした。いいものはあるなと思ってましたけど、当時は線が細かったですね」
すぐに芽が出たわけではなかった。ひと学年40人以上いる強豪校でなかなか目立つ存在ではなかった。
「1年生の時はメンバー入りはなかったと思いますし、2年生はパラパラって感じ。ただ3年生になったらもうずっとですね」
現在、日本代表の絶対的エースに君臨する上田の姿からは想像できないが、1、2年時には試合に絡むことすらできなかったというのだ。
当時伝えていたことを問われてると、鈴木監督は「あまり記憶にないんですよね」と苦笑い。数秒考え込んだ上でこう話した。
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佐藤成Sei Sato
2019年入社。高校野球の埼玉県担当後、文化社会部に配属。社会班として、常磐自動車道あおり運転事件や埼玉県知事選などを取材。
11月から芸能班に配置転換で、放送担当に。日本テレビ、TBSを受け持った。事務所はワタナベエンターテインメントやホリプロ、吉本興業など。
23年5月にスポーツ部へ異動。サッカー班として川崎フロンターレ、湘南ベルマーレ、A代表、U-23日本代表、なでしこジャパンの担当となる。24年1月アジアカップカタール大会、パリオリンピックなど取材。血液型B。