【ブルーペナント〈32〉】板倉滉 中2「フロンターレやめる」から築いた世界への礎

「ブルーペナント」。

その存在を知っている人はどれほどいるでしょうか。日本代表選手が初めて国際Aマッチに出場した際に「育成年代に特にお世話になった指導者を申告」し、記念となるペナントを作成して贈る日本サッカー協会(JFA)の指導者表彰制度。今回はDF板倉滉(29=アヤックス)のルーツを紹介します。小学生時代から川崎フロンターレの下部組織で育ち、トップ昇格。ベガルタ仙台への期限付き移籍を経て、渡欧し、日本代表へと駆け上がりました。腰の負傷で懸念されていたワールドカップ(W杯)メンバー入りも無事果たし、2度目の大舞台へ臨みます。川崎FのU-15時代にサッカーをやめそうになった板倉を止めた当時コーチだった大場健史さん(58=現山梨学院高校サッカー部監督)に話を聞きました。

サッカー

◆板倉滉(いたくら・こう)1997年(平9)1月27日、横浜市生まれ。川崎Fの下部組織で育って15年にトップ昇格。18年に仙台へ期限付き移籍し、主力となる。19年1月にマンチェスターCへ完全移籍し、同時にフローニンゲンへ期限付き移籍した。シャルケでもプレーした後の22年7月にボルシアMG加入。25年8月にアヤックスへ完全移籍。日本代表では国際Aマッチ40試合2得点(26年W杯開幕前時点)。21年東京五輪代表。利き足は右。家族は両親と妹。188センチ、80キロ。


◆大場健史(おおば・けんじ)1967年(昭42)8月14日生まれ。横浜市出身。神奈川県立旭高から日産FC(現横浜マリノス)に入団。住友金属FC(現鹿島アントラーズ)へ移籍し、柏レイソル、川崎Fを渡り歩く。俊足を生かしたサイドバックとして活躍した。Jリーグ通算50試合1得点で、98年に現役引退。そのまま川崎Fの下部組織で指導者となり、板倉、三笘、田中らを育てる。城西国際大コーチ、山梨学院大ヘッドコーチなどを歴任し、25年から山梨学院高監督に就任した。

日本対スウェーデン 前半、競り合う板倉滉(左)(撮影・足立雅史)

日本対スウェーデン 前半、競り合う板倉滉(左)(撮影・足立雅史)

中2で訪れた引退危機「いつもイライラしている感じ」

「辞めるのはいつでもできるぞ。やりきったか?」。板倉が中学2年の時に「フロンターレをやめます」と言いに来たとき、大場さんは冒頭の言葉を伝えて突っぱねた。大場さんが当時をこう振り返る。

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スポーツ

佐藤成Sei Sato

2019年入社。高校野球の埼玉県担当後、文化社会部に配属。社会班として、常磐自動車道あおり運転事件や埼玉県知事選などを取材。
11月から芸能班に配置転換で、放送担当に。日本テレビ、TBSを受け持った。事務所はワタナベエンターテインメントやホリプロ、吉本興業など。
23年5月にスポーツ部へ異動。サッカー班として川崎フロンターレ、湘南ベルマーレ、A代表、U-23日本代表、なでしこジャパンの担当となる。24年1月アジアカップカタール大会、パリオリンピックなど取材。血液型B。