【ボートレース】茅原悠紀 遊びから得た成功法則「ボートと同じだと思った」/住之江GP企画

グランプリでの好走を誓う茅原悠紀選手

私を揺さぶる、グランプリ-。12月16日からボートレース住之江で開幕する1年の総決戦、SG「第40回グランプリ」に向けた特別企画。「Road to THE GRAND PRIXキャンペーン」と題した企画の第4弾としてトップレーサーの茅原悠紀(38=岡山)にスポットライトをあてる。GP初優勝で得た喜び、その後の葛藤、趣味から得た学びに付いて、深く語った。(取材日=10月5日)

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今の茅原悠紀は無敵だ。技術的には言わずもがな。しかし、肝心なことはテクニックではない。心だ。長い葛藤を経て、“没入力”は誰にも負けないと自負する。「今はボートに乗りたくて仕方がない(笑い)」。悩んだ過去を乗り越え、自分なりの答えにたどり着き、設定したゴールに向かって、全力でボートレースに対峙(たいじ)している。

若くして頂点を極めたことが、悩みを生んだ。14年12月、平和島。GP初出場で優勝する偉業を成し遂げた。しかも、優勝戦は緑色のカポック。6コースから強烈なスピードで突き抜けた、あの1Mはボート界の伝説になった。当時、27歳。「まずGPのカッパ(レーシングスーツ)を着られることがうれしかった。初出場ではあったけど、正直、優勝しか狙っていなかった。3カ月ぐらい前から減量も含め、ボート漬けの日々を送った。しっかり準備できていたし、気迫でも他の選手を上回っていたと思います」。優勝賞金で緑色の高級スポーツカーを購入。彗星(すいせい)のように現れた若者は、一躍、ボート界の人気者となった。

しかし、これが苦悩の始まりだった。子供の頃からレーサーに憧れ、高校時代はアマチュアボートに乗り、夢実現のイメージにつなげた。好きでたまらなかった世界は、いつの間にか、灰色の景色に変わっていた。「自分が好きでボートレーサーをやらせていただいているのに、GPを勝った後、いつの間にか、誰かの期待に応えなきゃいけない…という感情が強くなっていた。デビューした頃はどういう気持ちだったかな? と過去を振り返り、この後、どうしよう? と未来を見過ぎて、その瞬間に集中できていなかった。30~35歳の間はボートが好きではなかったです」。

苦しみを救ったのは“遊び”だった。釣り好きが高じて、カラフトマスを捕獲するため、知床半島をシーカヤックで1周した。2泊3日の行程に対し、準備に約2年。気象予報を勉強し、携帯電話の電波も飛んでいない場所で、避難ルートを頭にたたき込み、ありとあらゆるリスクに対応する計画を練った。その対応策が全てうまくいった。「こんなに勉強して、こんなに仕込めば、不測の事態が起きても、こんなにうまくいくんだ。これって、ボートレースと同じだと思った」。

プランを練り、善後策を講じ、目的を達成する。成功の法則をボートに応用した。23年はGP優勝を獲物に掲げ、1月1日から航海に出た。多少のアクシデントが起こっても、もう、何ら動じなかった。クラシック、グラチャン、オーシャンカップ、ダービー、チャレンジカップで優出。驚異的な安定感を身に付け、賞金ランク3位でGPへ。優勝はできなかったが、ここでも優出した。

24年には大村オーシャンカップで、平和島GP以来、約10年7カ月ぶりのSG制覇。そして、賞金ランク4位でGP出場。随所に存在感を発揮し、3着で表彰台に上がった。2度目の頂点へ向け、前進しているのは間違いない。誰よりも強い探究心を持って、水面&ライバル攻略のプランを練っている。