2010年のサッカーワールドカップ(W杯)南アフリカ大会開催から、はや10年がたった。先日、現地で取材した日刊スポーツの記者4人でオンライン座談会を開いた。ビールを片手にパソコン画面を通じて、当時の思い出話に花を咲かせた。

座談会を機に、押し入れに眠っていた「ブブゼラ」を取り出し、吹いてみた。吹き方を忘れてなかなか音が出ない。しばらく格闘すると「ブオーッ!!」という何とも懐かしい音が部屋中に響いた。脳裏に南アフリカの風景が浮かんだ。

南アフリカのソウェトで子どもたちとサッカーを通じて触れ合った
南アフリカのソウェトで子どもたちとサッカーを通じて触れ合った

■マンデラが描いた理想

日本代表戦を含めた20数試合を現地で取材した。世界トップレベルの試合に見入り、ミックスゾーンでは世界一流選手たちの素顔に触れた。何ともぜいたくなサッカー三昧の日々。人生において、これだけ濃密な経験はもうないかもしれない。

それはサッカーということだけに終わらない。「人種差別」という負の歴史を抱えた南アフリカという国を旅し、体感できたものが大きかったからだ。

メッセージ性の強い大会だった。南アフリカには、長きにわたる白人による有色人種を差別する「アパルトヘイト(人種隔離政策)」という暗黒の時代があったからに他ならない。

黒人解放運動の指導者ネルソン・マンデラ氏(1918~2013年、元大統領)の指導のもと、それを乗り越え「レインボー・ネーション(虹の国)」を掲げた。その虹の国とは、多人種が手を取り合い共存する社会を目指すものだった。

南アフリカには11の部族があり、17世紀以降にオランダや英国といった欧州から白人が入植し、国の形が大きく変わった。加えてインド系などのアジアからの移民も多い。公用語は英語、アフリカーンス語、ズールー語など11。その多民族国家が、W杯を通して一つになるという文脈があった。従来のW杯開催国にはない、歴史的な背景が色濃く出ていた。

大会終了を前に、私はかねて考えていた行動に出た。スペイン-オランダによる決勝戦(7月11日)の2日前、私はヨハネスブルク郊外に広がる「タウンシップ」と呼ばれる旧黒人居住区に向かった。それはアパルトヘイト下で、マンデラ氏が拠点としていたソウェトという地区だった。1976年、500人以上もの死者を出した反アパルトヘイト闘争「ソウェト蜂起」のあった場所である。

ヨハネスブルク在住の友人に頼み、地理に明るい人物を紹介してもらった。友人のアシスタントを務めていたドレッドヘアの黒人男性だった。タウンシップの子どもたちと一緒にサッカーボールを蹴りたい-。そう伝えた。「虹の国」を体感するには、これが一番のインスピレーションになると考えていた。

開幕戦で先制点を決め、大歓声に応える南アフリカ代表MFチャバララ
開幕戦で先制点を決め、大歓声に応える南アフリカ代表MFチャバララ

■ソウェトの星チャバララ

南半球にあって冬晴れの日。子どもたちにプレゼントしようとまずはスーパーマーケットに立ち寄り、サッカーボールをいくつも購入した。車中、黒人男性は終始、陽気に歌い続けた。

ひたすら真っすぐ道を1時間ほど走った。赤茶けた土がむき出しになっている。小さなトタン屋根の家が並ぶ。飼われているヤギの群れが目立つ。そして路上では多くのこどもたち遊んでいた。思い描いていたような光景が広がった。

黒人男性がおもむろに口を開いた。「ここはチャバララの生家です」。通りの角に建つ、ごく普通の家だった。

このW杯開幕戦で大会第1号となるゴールを決めたのが、南アフリカの快足MFチャバララだった。その時、試合会場の「サッカーシティー」は耳をつんざく大歓声が起こり、異常なほどのボルテージに包まれた。地元チームゆえの盛り上がり。その時はそう思ったが、それだけではなかった。

「彼はソウェトの星なのです」

チャバララはアパルトヘイトの象徴、ソウェトの出身だった。単なるゴールではなかった。そんな歴史的背景を知れば、感動はより深いものになった。

日本代表のユニホーム姿でソウェトに同行してくれた男性
日本代表のユニホーム姿でソウェトに同行してくれた男性

■サッカーは世界の共通言語

通りで1人のリーダー風の子どもに声をかけた。「多くのこどもがいるところに連れて行ってくれない?」。その子どもについていくと、広場にたどり着いた。すぐに十数人の子どもたちに取り囲まれた。

「中国人?」「違う、日本人だよ」

日本代表、サムライブルーのレプリカユニホームを着込み、ボールを手に「一緒にサッカーをしよう」と呼びかけた。

「やろう! やろう!」

子どもたちは目を輝かせ、私からボールを奪うと、広場を駆け回った。一つのサッカーボールを巡り、みんなが笑顔でボールを追いかけ、夢中になった。1時間ほど一緒に興じた。そこに壁なんて存在しない。

遊び疲れて地面に座ると、純粋な子どもたちはいろんな話をしてくれた。将来の夢はチャバララのようなサッカー選手になること、僕らのヒーローはロナウジーニョだということ、テレビで見るW杯が楽しかったこと。

「ありがとう。もう帰るよ」。そう言うと私は買ってきたボールを子どもたちに一つ一つ手渡し、「このボールを置いていくので、毎日みんなで遊んでね」と伝えた。すると「グッバイは日本語で何て言うの?」と質問された。「サヨナラ、だよ」。そう返した。

「サヨナラ! サヨナラ!」

子どもたちは笑顔とともに元気よく日本語を発し、次々と私の手を握ってきた。

サッカーは世界の共通言語-。古くからそう言われてきたが、その言葉を、身をもって実感することができた。スポーツを通じて社会融和というものを考える、何ものにも代え難い邂逅(かいこう)となった。

W杯決勝後、スペインの優勝セレモニーの様子
W杯決勝後、スペインの優勝セレモニーの様子

■コロナ禍で分断する地球市民

はからずも10年後の現在、人種差別がクローズアップされている。米国での白人警官による黒人殺害事件を皮切りに、世界中では「Black lives matter(ブラック・ライブズ・マター=黒人の命も大事)」運動が起きている。差別や偏見、それに伴う貧困という社会の壁は、コロナ禍にあって手を取り合うべき地球市民に思わぬ分断を招いている。

マンデラ氏が切り開いた「虹の国」という理想郷。肌の色に優劣などなく、誰もが互いを尊重し、手を取り合えば、よりよい世界を創出できる。そんなメッセージが今となって、再び浮かび上がってくる。

ソウェトで見た光景、あの子どもたちのキラキラと輝く無垢(むく)な目が忘れられない。【佐藤隆志】(ニッカンスポーツコム/サッカーコラム「サカバカ日誌」)

南アフリカの旧黒人居住区ソウェトの子どもたち
南アフリカの旧黒人居住区ソウェトの子どもたち