ハリルホジッチ監督(当時)は隠し事ができないタチだった。就任から約1カ月がたった15年4月には、発表前の国際親善試合の相手を「おそらくイラクとやる」と言い、日本協会を慌てさせたこともあった。

 同時期、Jリーグのクラブ社長らが集まる実行委員会に異例の出席を果たした。そこで、同年3月に招集した日本代表選手の体脂肪の値がズラリ並んだ紙を持ち込み、国内組の体脂肪率オーバーを警告した。

 手に持った紙があらわになり、宇佐美(当時G大阪)の14・1%、興梠(浦和)の16・4%、太田(東京)の15・2%など、およそアスリートとは思えない数値が露呈した。

 公表する意図はなく、直後に謝罪したが、図らずも判明したのは国内組の意識の低さ。基準は、15年12月に候補選手を集め最後通告した「12%以内」だった。

 海外組はほぼ、最初から基準値12%以下だったが、基準値オーバーが国内組という傾向は、何度言っても、ずっと変わらなかった。合宿のたび計測したが、警告を受けるのはほぼ国内組。リーグのレベル、環境の差は個人ではいかんともしがたいが、体脂肪率は意識ひとつで変えられる。W杯(ワールドカップ)、日本代表入りに直結するなら、なおさら。にもかかわらず、国内組の体脂肪率の傾向は変わらなかった。

 W杯の組み合わせ抽選も終わった17年12月。なぜ、警告から3年もたってまだ体脂肪を改善できないような選手を呼ぶのか? と聞かれると、いつになく弱々しい口調でこう答えた。

 「でも、Jリーグの選手の9割がそういう問題を抱えている。(呼ばなければ)9人でプレーすることになってしまう」

 笛吹けど踊らず-。もちろん、体脂肪率がすべてではない。ただ、ハリルホジッチ監督はある意味、不幸だった。

 約3年間、日本サッカーのため働きづめだった“ハリルの功績”は、この体脂肪率問題を広く認識させた点に加え、デュエル(球際の攻防)という単語と、その大切さを浸透させたことも挙げられる。

 そして、快勝したW杯アジア最終予選UAE戦(アウェー)の今野と川島のサプライズ起用や、W杯出場を決めた同オーストラリア戦(ホーム)で中盤に井手口、山口、長谷部を配する用兵にも、ここ一番での采配に勝負師として見るべきところはあった。

 東京・両国国技館に相撲を見に行き、その人気を体感し、野球の扱いが大きい日刊スポーツをパラパラめくり「ベースボールばかりじゃないか」とサッカーの地位向上を本気で願った。日本代表を強くし、サッカーをNO・1のスポーツにすると誓い、W杯ロシア大会の大成功後に「銀座パレード」を夢見ていたが、すべてまぼろしになった。

 選手とのコミュニケーションなど、問題は多々あれど“遺産”として評価すべき点はある。いつも上から目線だったが、皮肉なことに、クビを切られた田嶋会長の唱える「世界基準」を事あるごとに伝え続けた監督だった。そういえば、西野新監督もこの4文字が大好きだが…。【八反誠】

(つづく)