国際サッカー連盟(FIFA)が導入したビデオ・アシスタント・レフェリー(VAR)。18年W杯ロシア大会で、サッカー界に登場した“新たな審判”が多くの人々に知られることになった。

誤審をなくす新たなテクノロジーとして期待される一方、メリットだけではなかった。実際に試合を裁く主審は、この新技術をどう見ているのか?

日本人の主審として国際大会でVARを使用したのは現在わずか2人。その1人で、昨年12月のクラブW杯UAE大会の開幕戦などで主審を務めた佐藤隆治国際審判員(41)に、VARについて聞いた。

日本対カタール 後半、吉田のプレーがVARでハンドを取られる(撮影・河野匠)
日本対カタール 後半、吉田のプレーがVARでハンドを取られる(撮影・河野匠)

■判定するのは4つ

まず、VARが判定するのは以下の4つの場合のみだ。

<1>ゴール判定 ゴールラインを割ったかなど、得点に直結する場面が不明確だったとき

<2>PK判定 ペナルティーエリア内でのプレーが、PKを与えるべき反則だったかが不明確なとき

<3>一発退場 レッドカードが妥当な反則だったかが不明確なとき

<4>選手への処分 主審が選手を退場処分などにした際、人違いなどが起きていないか不明確なとき

そしてVARを使用するのはいずれも「明白な判定ミス」が疑われる場合のみとされている。つまり、映像で試合を監視するVAR審判にとっても、確認を勧める際にはそれだけの根拠が必要になる。

佐藤氏は「技術を入れて(信頼性が)100%になるのはゴールラインテクノロジーだけだと僕は思う」と話す。ゴールか否かの判定はラインを越えたかどうかの事実だけなので、明白化される。ただ、反則はそうはいかない。

佐藤氏によると、特に難しい判断を迫られるのがハンドだという。

FIFAが定めるハンドの反則の規約はこうある。

「ボールを意図的に手または腕で扱う(ゴールキーパーが自分のペナルティーエリア内にあるボールを扱う場合を除く)」。

この「意図的」という判断基準には、どうしてもグレーゾーンが残るものだという。

最近、わかりやすい例があった。アジア杯決勝のカタール戦で日本代表DF吉田麻也主将(30)がPKを取られたハンドである。相手CKからDFハサンと競り合い、ハサンがヘディングしたボールが左腕に当たった。これがVARを利用した判定でPKとされ、決められて1-3と2点差に。勝負を決定づける瞬間になった。

このシーンは海外でも物議をかもした。米FOXスポーツでは、故意的なものではないからPK判定はおかしいとする海外ファン批判や疑問の声が紹介された。テレビ中継で解説をしていた松木安太郎氏は「(競り合い時に)目をつぶっているのに意図なんかねえだろう」と声を大にしていた。

試合後、吉田はハンドについてこうコメントしている。

「どうですかね。どうしたらいいんでしょうか。ハンドが起きたこと自体、僕自身は正直どうしようもない」

判定を受け入れつつも、わざとではないがゆえの歯がゆさがにじんだ。

ここに“意図的”という基準のグレーゾーンがある。

佐藤氏は決勝を自宅で観戦していたという。もし佐藤氏があの試合の主審だったらどうしていたか。

「僕が主審でもPKにしていました」

一方で、吉田の心情も察する。

「あそこで吉田選手が手に当てようとするわけはないですよね」

そして、誤解を恐れない言葉で説明を続けた。

「意図って、場合によっては本人にだってわからない。無意識に反応することだってあるじゃないですか。そうすると、意図があるかないかって、誰にもわからないんです」

日本対カタール 後半、VARでハンドを取られイエローカードを受ける吉田(撮影・河野匠)
日本対カタール 後半、VARでハンドを取られイエローカードを受ける吉田(撮影・河野匠)

■客観的事実をつかむ

かつてはルールにある文言のもとで「予測できたか」「ボールがきたのか、手がボールに向かったのか」などのざっくりとした見方で判定されていた。判定にその場では不満が出ても、なんとなく受け入れられ、流されるのが自然だった。「意図的」という言葉が持つあいまいな部分が“うまく残っていた”とも言える。それがVARの登場により、変わっていない現行ルールの文言では判定しきれない領域まで、ジャッジを求められるような環境になったと言っていい。

それでも、主審は決定を下さなければならない。

「じゃあなにをもって判断するかというと、客観的事実をつかんでいくしかない」

吉田の例における客観的事実はこうだ。

<1>吉田はボールにチャレンジしている

<2>競り合いには若干遅れている

<3>ヘディングはできなかった

<4>ジャンプするときには手は自然と上がるもの

<5>相手との距離は非常に近い

さらに、当時の状況を見極めるための解釈が加わる。佐藤氏の場合は以下のとおりだという。

<1>シュートを狙っていることは分かっている

<2>相手が競り勝った場合、どこにボールがいくかは予測ができる

<3>手がシュートコース上にある

<4>左右の手のバランスが悪く、余計にコースに手を出しているように見える

意図の存在が明白にわからない以上、意図があった(またはなかった)といえる根拠を論理立てて見つけることが要になる。その部分で、事実と解釈に頼らざるを得ないのが現状だ。佐藤氏は説明の最後に付け加えた。

「ハンドにしないといけないつらさはあります」

吉田のプレーはハンドではないという意見を持つ主審もいるという。主審それぞれの解釈が加わるため、同じ現象でも判定が変わってしまう可能性があるのが現状なのだ。佐藤氏は話す。

「選手にとっては、この主審で損した、得したという感覚にもなると思う。主審のさじ加減と言われてしまうと苦しいのですが、少なくとも主審は、こういう事実があるから判断した、という解釈がちゃんとある。どちらも受け入れてもらわないと、誰も決められなくなってしまうのです」

VARは優れたテクノロジーである一方、使うのはあくまで人間なのだ。

主審によって判定が変わるものをルールと言っていいのか。「サッカーにあいまいさはあっていい」というのが持論だが、ならばどこまでのあいまいさを良しとするか。そもそも、そんなものを定義できるのか-。佐藤氏の言葉を聞きながら、さまざまな思考を巡らせた。

W杯ロシア大会ではPK数が過去最多の29回に。前回大会より16も増えた背景にはVARの存在が大きい。アジア杯では日本にも大きな影響を与えた。今季は国内でも、ルヴァン杯の決勝トーナメントなどで導入が決まっている。

だが佐藤氏の話を聞く限り、VARを違和感なく見られるようになるのはまだ先になりそうだ。【岡崎悠利】

佐藤隆治主審
佐藤隆治主審