現役引退から9年がたった元ガンバ大阪主将で主にDFで活躍した木場昌雄さん(45)と先日、久々に会うことができた。現在は国内外でのサッカー事業に従事し活躍中。実直な性格は以前とまったく変わらなかった。

木場さんは2011年に立ち上げた「一般社団法人ジャパン・ドリーム・フットボール・アソシエーション(JDFA)」の代表を務める。主にタイを舞台にマレーシア、カンボジアなど東南アジアの選手育成を目的に、14歳以下の国際大会を毎年行い、サッカー教室も年に3回開く。スポンサー企業もついてビジネスとして成り立っている。

その国際大会は今年で6回目を迎え、12月に開催予定。大会で優秀選手に選ばれれば、Jリーグクラブのアカデミー(下部組織)に参加でき、選手たちには高いモチベーションになっているという。既に第1回大会の選手は、ガンバ大阪の練習に参加。以後も横浜F・マリノス、FC東京、サンフレッチェ広島、昨年は川崎フロンターレと参加実績をつくってきた。木場さんの仕事は、いわば日本と東南アジアのかけ橋になっている。

「そういう自分の活動を通じて、東南アジアからJリーグ選手を出したい。当初はJリーグのアカデミーに入っても、実力的にやれないと思っていたのが、全然そんなことはない。彼らが実力を証明してくれたときが喜びです」

例えば第1回のG大阪の練習に参加した当時15歳の選手が昨年、19歳になってG大阪U-23チームの入団テストを受けた。木場さん自身の活動での第1号Jリーガー誕生こそならなかったが、今はタイでプロ選手になった。夢の実現はすぐ手の届くところに来ていると確信した。

木場さんがそこまで情熱を注ぐ理由は、現役最後の3年間をタイのクラブに所属したことにある。

日本では考えられないことだが、タイの選手は遅刻が当たり前。だが、木場さんが入団し、開始30分前にはウオーミングアップを含めて準備を終えると、次の日にはまねをする選手がでてきて、1カ月後には全員が木場さんと同じ行動をとったという。

「見ている人は見ているし、彼らは正しいものは正しいと判断できる。僕も外国人の戦力としてだけではない喜びがあった。日本のプロとして、当たり前のことを当たり前のようにしていただけだが、僕がいる意味を逆に気付かされた。実際にタイの選手も日本で通用しないことはないと思ったし、Jリーグとタイの素晴らしさを分かっている自分が発信するからこそ説得力ある活動はないかと考えて、今の団体を立ち上げたんです」

G大阪時代に師弟関係にあった西野朗監督が現在、タイ代表監督を務める。しかも西野監督がG大阪での1、2年目、木場さんを主将に任命した。U-19日本代表にも選んでくれた恩師はタイの頂点に立つチームを指導し、木場さんはその底辺にいる選手育成に携わっている。縁を感じずにはいられない。

木場さんが昨年末、西野さんにあいさつのメールを送った際、「やっとタイの第一人者(木場さん)から連絡がもらえた。連絡がなくさみしいなと思っていたけど、うれしいよ。またタイで会えたらいいね」と返信があった。

「西野監督にはいろいろ指導していただき、本当に感謝している。タイでは西野監督は現場のトップ、僕は育成のところで彼らの能力を引き出す。僕が携わった選手を、西野監督が代表に選んでくれれば、ドラマかもしれませんね」

同様のアジア戦略を行うJリーグからは、木場さんはJリーグ・アジアアンバサダーの肩書も与えられている。現役時代も最終ラインでG大阪を支えた木場さんが、今も東南アジアのサッカー少年たちの未来を支えている。(ニッカンスポーツ・コム/サッカーコラム「現場発」)

◆横田和幸(よこた・かずゆき)1968年(昭43)2月24日、大阪府生まれ。91年日刊スポーツ入社。96年アトランタ五輪、98年サッカーW杯フランス大会など取材。広島、G大阪などJリーグを中心にスポーツ全般を担当。