ラモス氏10番継ぐ茂怜羅オズ、ビーチW杯V導く

意気込みを語るビーチサッカー日本代表の茂怜羅

 日本サッカー協会は6日、ビーチサッカーW杯バハマ大会(27日開幕)の日本代表メンバー12人を発表した。12年の日本国籍を取得後、3度目のW杯となるFP(フィールドプレーヤー)の茂怜羅(もれいら)オズ(31=東京V)が背番号10の主将としてチームをけん引する。世界も注目し、前ビーチ日本代表監督のラモス瑠偉氏(60)が「砂のサムライ」と呼んだ、ブラジル生まれの日本代表に迫った。

 茂怜羅が日本人となり3度目のW杯に臨む。過去2度は8強。狙うは3度目の正直となるW杯優勝だ。「大会に出る以上は優勝しか狙っていない。ただ、今回は死の組に入った。毎試合が決勝戦のつもりで戦います」。国際サッカー連盟主催の世界大会に臨むすべての日本代表の中で、ビーチは頂点に最も近い位置にいるとみられている。世界屈指の実力を誇る茂怜羅が口にする「W杯優勝」には、現実的な響きがある。

 21歳で来日した。すぐ日本が気に入った。「前の人生(前世)も日本人だったかもしれない」と笑うほど大好きで、ずっと住み続けるつもり。「日本の人は最初から優しくしてくれた。言葉も分からないころ、買い物に行ったらお店の人が携帯を使って僕のポルトガル語を調べてくれた。最初に住んだのが沖縄。(故郷の)リオに似ていてすごく良かった。(来日)1年で、ずっと日本に住みたいと思いました」。

 好物はすき焼きやすし。かつて東京・文京区が外国人向けに開いた日本語教室に通い、さらに公文式で学んだ日本語はほぼ完璧。「敬語が少し…」と言うが謙遜だ。名刺も持ち歩きしっかりお辞儀して渡す。日本大好き。こんな頼もしい日本代表も、あまりいない。

 日本国籍取得を相談し、親身になってくれた前ビーチ日本代表監督のラモス氏を慕う。「日本のお父さんです。弟といってもらっているので、お父さんなんて言ったら『そんな年じゃないヨ』と怒られるかもしれないけど。優しくしてくれて、今も連絡をくれます。同じくらいの年で日本に来て、日本人になって日本代表になった。僕のかがみのような存在」。漢字と片仮名の日本名もラモス氏にならい背番号も「ラモスさんの10番がほしい」と直訴し背負う。脳梗塞から復活した「お父さん」に、いいニュースを届け恩返ししたい。

 日本サッカーも背負って戦う。「日の丸をつけているので、優勝したら(全カテゴリーが)みんなひとつになって喜べる。W杯で優勝すれば、それは日本人全員の優勝です」。ラモス氏が「砂のサムライ」と呼んで信頼した茂怜羅オズ。ビーチの上で魔法使いのようなプレーをみせる10番が、14年ブラジルW杯以降、日本サッカー界では聞かれなくなった「W杯優勝」を本気で目指す。【八反誠】

 ◆茂怜羅(もれいら)オズ 1986年1月21日、ブラジル生まれ。リオデジャネイロのコパカバーナで生まれ育ち、6歳でビーチサッカーを始める。16歳でプロになり、21歳で来日し日本でプレー。12年に日本国籍を取得し、ラモス監督(当時)が率いるビーチ日本代表入り。W杯は13年タヒチ、15年ポルトガルの両大会で8強。13年には大会のシルバーボール賞(優秀選手)を受賞。ここ3年は、ビーチの国際統括団体が発表する年間ベスト5にも選出。国際Aマッチ64試合73得点。東京V所属で、同クラブの監督でもある。好きな選手は長友佑都で「会って話してみたい」という。190センチ、86キロ。独身。