倉田秋突き動かす、母が縫い続けたジャージーの記憶

ボールを奪い合う倉田(右)と酒井高(撮影・山崎安昭)

 W杯ロシア大会のメンバー入りを懸けたサバイバルが始まった日本代表で、MF倉田秋(28=ガンバ大阪)が結果を残した。両親が観戦した6日ニュージーランド戦で途中出場し、決勝点となる代表初ゴール。G大阪の下部組織から現在に至るまでには、生活が苦しい中、サッカーを支えてくれた両親の存在がある。代表で頭角を現した28歳のプレーのルーツに迫った。チームは7日、豊田スタジアムで調整後、10日ハイチ戦(日産ス)に向けて神奈川へ移動した。

 倉田は前日の余韻を楽しむかのように笑顔で練習した。ミニゲームではFW乾と競り合い、足元の技術を発揮した。代表初得点を刻んだピッチ。頭から飛び込み、GKと激突しながら挙げた決勝点の代償で、引き揚げる際は前日同様、右頭部に氷のうを当てていたが「大丈夫」とニッコリ。まさに勲章だった。

 無我夢中で最後まで走り切るのが倉田の持ち味だ。「自分が倒れるまで走ればいい」と豊富な運動量でフォア・ザ・チームに徹する。その根底には、両親の愛情、両親への感謝がある。

 本気でサッカーに取り組んだのは中学1年でG大阪下部組織に入ってから。同じ時期に父穣(ゆたか)さん(60)が脱サラして木工工房を始め、喫茶店も経営。赤字の時もあった。チームで着用するジャージーは買い替えず、破れるたびに母尚子(ひさこ)さん(58)が縫ってくれたものを着続けた。プロを目指すようになってからもワゴンセールで買った5000円のスパイクを接着剤で修理し、ボロボロになるまで履いた。尚子さんは「家計の事情に気付いていたのか『別にいらんよ』と言って、新しい物を欲しがらなかった」と話す。仕事の合間を縫って練習の送迎をするなどサッカーを支えてくれた両親について、倉田は常々「親には感謝している」と口にする。

 物を、人を大事にする気持ちは、プレースタイルにも表れている。縦横無尽にピッチを駆け回り、仲間もチームも助ける。ハリルホジッチ監督から「スピードを上げる能力、仕掛ける能力が面白い」と攻撃センスを買われ、徐々に信頼を深めている。

 親思いの息子に、尚子さんは「初めて代表に入った時(15年8月)には車をプレゼントしてくれた。秋君の試合を見に行けばいろんなところにも行けるのでうれしい」。本人も両親への感謝は尽きない。次の恩返しはロシアへ連れて行くこと。そのためにハイチ戦でも生き残りを懸けて走り続け、ゴールを目指す。【小杉舞】

 ▼日本代表年長初ゴール 倉田が6日のニュージーランド戦で代表初得点。国際Aマッチで得点は日本代表史上213人目。28歳10カ月10日での初得点は歴代10位の年長記録。最年長初得点はMFラモス瑠偉で36歳2カ月26日(93年5月5日のスリランカ戦)。

 ◆倉田秋(くらた・しゅう)1988年(昭63)11月26日、大阪府高槻市生まれ。FCファルコン(高槻)からG大阪ジュニアユース、同ユースを経て、07年にトップ昇格。10年にJ2千葉、11年C大阪に期限付き移籍。12年にG大阪に復帰した。日本代表は15年東アジア杯で初招集。国際Aマッチ5試合1得点。172センチ、68キロ。