ヒデ高原と重なる本田香川、大事なのは…/ジーコ論

取材に応じるジーコ氏

 W杯で日本代表を指揮した監督たちによる連載「W杯を知る男たち ○○論」の第4弾は、06年ドイツ大会を率いたジーコ氏(64)の登場です。現役でもブラジル代表として78、82、86年の3大会に出場し、W杯を最もよく知る人の1人。鹿島時代を含め日本サッカー界に大きな影響を与えてきた。「ジーコ論」として06年当時のこと、今の日本代表に必要なことを2回にわたり語ってもらった。【取材=エリーザ大塚通信員】

 ジーコ氏が率いた日本代表は中田英寿、中村俊輔ら欧州でプレーする選手もいたが、約70%は国内組だった。現代表の主力は海外組。そんな中でジーコ氏は「海外で得られる経験もあるが、最も大事なのは試合に出ること」と指摘する。

 昨冬、欧州チャンピオンズリーグを観戦した時に日本代表スタッフと会った。「彼は欧州にいる選手が試合に出ていないと心配していた」。本田、香川、岡崎、長友らが出番に恵まれなかった時期だ。「彼らは(代表でも)試合のリズムに乗れず、いいゲームができなかった。その証拠に日本は好結果を出せる組にいながら、最終予選で苦戦した」。

 同時に「私もそれで苦労した。中村(セルティック)は出ていたが、中田英(フィオレンティナ、ボルトン)、高原直泰(ハンブルガーSV)は出番が少なく、小野伸二(フェイエノールト)は故障がちだった。素晴らしい選手だったが、明らかにリズムに乗れなかった」と振り返る。

 「この状況が続けば日本サッカーのレベルは落ちるでしょう」と懸念。海外組は代表合流もぎりぎりになる。「理想は選手のクラブと友好関係を持ち、試合に出ていない選手は早く派遣してもらうこと。私はすべてのクラブを訪問し頼みました。こればかりは友好関係を築かないとどうしようもない」。

 リズム、いわゆる試合勘やコンディションの問題のほかに、日本に足りないものとして「精神面の成長」を挙げた。「すごくいい試合運びをしているのに、1つゴールを奪われると取り乱し、2つ目、3つ目と流される。80分間いいゲームをしても精神面をコントロールできず、ピンチになると崩れ、たった10分ですべてを台無しにするリスクをつくってしまう。日本はここが重要だと思う」。

 まさに06年大会初戦のオーストラリア戦。「悪いゲームではなかったし、チャンスもつくったが、最後の7分で3点奪われて負けました」。前半26分に中村のゴールで先制も、後半39、44、45分と立て続けに失点した。「日本はオーストラリア戦とクロアチア戦、ブラジル戦の前半までいいゲームをした。でもW杯ではいい試合運びをゴールに変えなければならない。それを私たちはできなかった」。ブラジル戦では前半34分に先制。前半終了間際、後半8、14、36分に失点して1-4で敗れた。

 「W杯では何があっても、そこにたどり着いた時と同じ勢いで走らねばなりません」

 一方で、最も大事なのは準備だという。「私たちは万全の準備ができたし、そこでは全く問題は起きなかった。たくさんの試合を重ね、W杯にベストの状態で臨んだ」。W杯では日本より格上のチーム、世界のトップ選手が相手だ。「苦戦するのは当たり前。でも今は事前に情報を入手できるから、驚かされることなんてない。どんなスクールやクラブ、アフリカ、欧州、どこの国でも映像や写真が手に入る。監督としての私は対戦チームすべてを観察するのが好き。W杯ではさらに必要。事前に準備していても、進化し続けなければいけないのです」。

 それでも誤算はあった。「ただ残念なのはドイツ戦で素晴らしい試合をしたけれど、チームで最高だった2人、加地亮と高原が負傷してしまったこと」。W杯開幕直前、地元開催に盛り上がるドイツとの親善試合は、高原の2得点で2-2と引き分けた。「W杯の1週間前に主力選手2人の故障というのは、本当につらいものでした」。(つづく)

 ◆ジーコ 1953年3月3日、ブラジル・リオデジャネイロ生まれ。本名アルトゥール・アントゥネス・コインブラ。フラメンゴで活躍し、81年トヨタ杯リバプール戦で来日。83~85年はウディネーゼでプレー。ブラジル代表は76年に初選出され、通算72試合52得点。W杯では78年3位、82年2次リーグ敗退、86年8強。91年に鹿島入りし、94年引退。02年W杯後に日本代表監督になり、06年W杯は1分け2敗で1次リーグ敗退。