人格者森保一を育てた今西元監督が教えた3つの要素

サッカー日本代表新監督の発表会見で意気込みを語る森保新監督(撮影・山崎安昭)

<ポイチの原点(1)>

 日本代表の新指揮官は一体どんな人物か-。日刊スポーツでは森保監督のこれまでの人生に深く関わった人たちを取材。ポイチという愛称で呼ばれる同監督の歩みを「ポイチの原点」と題して連載をスタートします。第1回は同監督が「最大の恩人」と公言する、かつてJリーグ広島で総監督を務めた今西和男氏(77)。森保という人格者が誕生したルーツは、今西氏が徹底的に教え込んだ3つの要素にあった。

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 長崎日大高時代は全国的に無名だった森保を、広島の前身マツダへ誘ったのが今西だった。うわさを聞きつけて現地まで4度足を運んだ。当時ゼネラルマネジャー(GM)の立場ながら、スカウト業も行っていた今西がほれ込んだのはプレースタイルだけでなく、森保の人柄だった。

 「森保君は同期入団6人の中でも聞く力がずばぬけていた。それは今でもたけている能力。でも当時は高卒でサッカーばかりやってきたので、あまり勉強をしていなかった。もっといい選手、指導者になるにはまずは一人前の社会人になることが必要だった」

 森保の入団時、今西が課したテーマは3つ。「話す、聞く、考える力」の徹底だ。マツダ本社から教育係を呼び、仕事と練習の合間に部員内でグループディスカッションを実施。年に数回は海や山へ出掛け、短期間のサバイバルキャンプを行った。

 「テントを張って、自分たちでご飯を作る。オリエンテーションで地図を見ながら目的地を目指す。どれも仲間と話して意見を言わなければできない。当時はそんなことをやるクラブはなかったかな」。ピッチ内でそれぞれが要求し合えるよう、競技以外でリーダー性を培った。

 今西は振り返る。「森保君の吸収力はすごかった」。当時、ドイツ帰りの風間(現名古屋監督)から体験談を聞き、目を輝かせた。取材結果を自らの考えに落とし込んでリポートとして今西に提出。毎日のように添削した今西は「指導者になってからも、選手の考えを聞いて吸収しようとする姿勢は同じ」という。

 広島は選手に対し、力量と同じく人間性を重視する伝統がある。その基礎を作ったのが今西であり、その中で育ったのが森保や、各所属先で現在監督を務める風間、高木(長崎)片野坂(J2大分)森山(U-16日本代表)らだ。広島に住む今西は、森保とかかわって三十数年が過ぎた。今も交流があり「あの頃と変わっていない」と笑う。広島で磨かれた力が、今度は日本代表監督として発揮される。(敬称略)【小杉舞】

<森保一(もりやす・はじめ)アラカルト>

 ◆生まれと学生時代 1968年(昭43)8月23日、静岡・掛川市で生まれ、のちに長崎市へ引っ越す。無名ゆえに「森・保一(もり・ぽいち)」と呼ばれ、愛称は「ポイチ」に。

 ◆社会人 長崎日大高卒で広島の前身マツダの関連会社に入社、マツダSCの主力に。21歳で高校の同級生、由美子夫人と結婚(3男)。

 ◆日本代表 広島でプロ契約後、92年にオフトジャパンに初招集され、93年W杯アジア最終予選の「ドーハの悲劇」も経験。国際Aマッチ35試合1得点。

 ◆Jリーグ 広島で93年元年から活躍し、94年第1ステージ制覇。98年京都へ期限付き移籍。99年古巣復帰。02年仙台移籍、03年限りで現役引退。J1通算293試合15得点。

 ◆指導者 U-19、20日本代表や広島、新潟でコーチ歴任後、12年広島監督に就任。計5年半で3度優勝。17年10月東京五輪監督就任、18年W杯ロシア大会はコーチで同行。