山中亮輔やっとつかんだA代表「結果残し生き残る」

練習で笑顔を見せる山中(撮影・横山健太)

ついに念願の舞台にたどり着いた。サッカー日本代表が12日、大分県内で国際親善試合ベネズエラ戦(16日、大分銀行ドーム)へ向けた合宿をスタート。A代表初招集の左サイドバック(SB)山中亮輔(25=横浜F・マリノス)は16年リオ・オリンピック(五輪)直前での負傷離脱、ワールドカップ(W杯)ロシア大会落選などの悔しさを乗り越え、森保ジャパン定着を誓った。この日は16人がランニングなどの軽めの調整メニューをこなした。

トレードマークの金髪を光らせ、山中は充実感をにじませた。「かなりとけ込みやすかった。経験ある選手が多いので、少しでも自分のものにできたら」。派手な見た目とは裏腹に感じていた緊張も練習後にはなくなっていた。

やっとの思いでつかみとった場所だ。U-16から年代別代表に名を連ねるも、けがで16年リオ五輪出場を直前で逃すなど世界大会への出場には恵まれなかった。一方で同じリオ五輪世代の遠藤らは代表に定着し、南野らもブレーク。自身もきっかけを得ようと昨季、10歳から過ごした柏レイソルを離れ、横浜へ移籍。主力として活躍し、攻撃的SBとして代表へ推す声も聞こえてきた。

それでも現実は厳しかった。自信をつかんで迎えた昨年12月の東アジアE-1選手権。国内組のみで臨んだ大会でも代表に声はかからなかった。失意の中で年を越し、柏の下部組織加入前に所属した柏エフォートFCの初蹴りで恩師の小鷹康人さん(55)に打ち明けた。「もうダメかもしれない」。A代表未経験ながらひそかに目指していたW杯ロシア大会出場も絶望的となり、心は折れかけていた。それでも幼少期の山中を何度も叱り、泣かしてきた小鷹さんは「負けず嫌いで泣きながらでも前に進んでいくタイプ」と将来のA代表入りを期待していた。

そんな悔しさをバネに今季はここまで横浜不動の左SBとして全試合に出場。DFながら4得点8アシストとキャリアハイの数字も残し、ついに森保監督の目に留まった。代表では左SBにDF長友が君臨するが今回は負傷で招集外。山中は「チャンスをものにできるように。目に見える結果を残して生き残りたい」。

A代表選出の知らせを受け、小鷹さんには「やっときました」とメッセージを送った。小鷹さんは「ずっと(代表で)アピールしたがっていた。あの金髪も目立ちたいからだと思う」。待ち焦がれたA代表の舞台で、山中がチャンスをつかみとる。【松尾幸之介】

◆山中と日本代表 高校1年時のU-16代表で初選出。14年U-21代表から常連となり、同年の仁川アジア大会、15年のリオ五輪アジア1次予選、16年の同最終予選すべてに左サイドバックのレギュラーとして出場した。一方で世界大会と無縁。U-17、20W杯は出場を逃し、リオ本戦も開幕3カ月前に右大腿二頭筋を肉離れ。同位置には代わりにオーバーエージ枠の藤春(ガンバ大阪)が選ばれた。今回が悲願のA代表初選出。

◆山中亮輔(やまなか・りょうすけ)1993年(平5)4月20日生まれ、柏市出身。小学3年で地元クラブの柏エフォートFCに入り、小学4年の途中から柏の下部組織に加入。12年にトップチームに昇格。J2ジェフユナイテッド千葉への期限付き移籍を経て17年に横浜へ移籍した。171センチ、65キロ。