香川はアタッカーで!司令塔から点取り屋に戻って

26日、ボリビア戦の前半、競り合う香川

<Nikkan eye 担当記者がサッカーを掘り下げる>

MF香川真司(30=トルコ1部ベシクタシュ)が、18年ワールドカップ(W杯)ロシア大会以来の日本代表復帰を遂げた。初招集で今回がスタートとなった森保ジャパンでも輝くには-。担当記者が独自の視点でつづる「NIKKAN EYE」では、香川に「司令塔」ではなく「点取り屋」への回帰を求める。

今回のトピックは間違いなく香川復帰だった。22日コロンビア戦は途中から25分間、26日のボリビア戦は先発で68分間。計1試合分の出場で無得点、シュート1本にとどまった。ボリビア戦は、退いた後に三銃士の堂安→南野→中島とつながり決勝点。世代交代のコントラストが強調された。

だが、森保監督から「相手を間延びさせ、疲れさせてくれた」と評価されたように、香川ら先発組の働きがボディーブローのように効いたのは間違いない。振り返れば、香川が代表初ゴールを挙げた08年のUAE戦もそうだった。0-0から、中村俊との交代で入った香川が先制点。岡崎慎司のデビュー戦でもあり、やはり当時も新鋭の台頭が話題になったが、過程をつくったのはベテランだった。

その時の中村俊と同じ30歳になった香川。ボリビア戦は初のゲーム主将を務め「途中で入った選手が決めて、勝ち切れて良かった」と第一声で総括した。組み立てに追われたが、南野に「スペースがない中、前を向いて起点になっていた。僕にはできない」と舌を巻かせた。ピッチ外でも、食事会場では南野、堂安や初招集の橋本をテーブルに呼び、会話をリードしていたという。「年上の選手がいなくなって景色がガラリと変わった」。長谷部、本田の代表引退に長友や吉田の招集免除で「先頭に立って若手を生かさなければ」と思って当然の環境だった。

それでも、得点が付いてこないと物足りない。「10年(W杯)以降、自分が出てきたころのよう。転換期」と言って若手をたたえたが、老け込むには早い。10年夏のドルトムント加入から半年間で17戦8発と爆発した時は、それこそ今の三銃士を軽く上回るインパクトだった。続けてきたからこそ、日本と欧州で公式戦通算120点。代表でもMF最多31ゴール。やはり得点とセットで見たくなる。

昨夏のW杯直前、10番への思いを聞いた時だ。「俊さんや名波さんはファンタジスタで僕とは全く違う。僕の色はアタッカー。点を取ってこそ。ずっと変わらない」。今回も「過程が大事」としつつ「ベテランだろうが年を取ろうが、奪いにいくものはいかないと。チームも大事だけど、絶対に忘れてはいけない」。この言葉には安心した。「(中島)翔哉や(堂安)律の仕掛けは武器。自分は違う良さを付け足す」と連動性で勝負していく中、下がるのではなく、反対に本来のセカンドトップに上がって待つ気概があっていい。若手のエゴに合わせるのではなく、ぶつけて推進力を倍増するプレーに期待する。

南米選手権への出場意欲を聞くと「もちろん」と即答。欠場する大迫のほか、既に複数主力が水面下で断られている。香川が出場できたとしても、キャップ数1桁の8人と組んだ今回のような編成になるかもしれない。その中で組み立てとフィニッシュの両立は難儀だが、後輩を立てようとしすぎれば布石に回り、いずれ埋もれる。香川が司令塔から点取り屋に戻らなければ将来、三銃士へのマークも分散しない。【木下淳】