広島大迫「19年は60点」五輪メダル&J制覇目標

広島GK大迫敬介(18年10月11日撮影)

サンフレッチェ広島のGK大迫敬介(20)にとって勝負の2020年が幕を開けた。今や日本を代表する守護神に成長した20歳は、7月開幕の東京五輪に出場するU-23(23歳以下)日本代表入りは確実。目標をメダル獲得に定め、2月開幕のJ1リーグでは5年ぶりの優勝も狙う。昨年にブレークした大迫が、今年に懸ける意気込みを語った。

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大迫は2つの目標を掲げて年を越した。1つは東京五輪でメダル獲得。68年メキシコ五輪の銅以来となる、52年ぶりのメダルをつかみ取る。もう1つはJ1制覇だ。

「五輪の目標はメダル獲得しかない。自分の中では何色のメダルが欲しいかは決まっているが、口にはしません。1試合1試合の積み重ねで目標を達成したい。Jリーグでも昨年はかなわなかったけど、優勝しかない」

186センチ、86キロと体格に恵まれた大迫は、リベロのように最終ラインの背後で動き回る。攻撃の起点となるパスをキックで操るスタイルは広島の伝統。17年途中で広島の指揮官を退任した、日本代表兼五輪代表森保監督の目指していたものだった。

各年代で日の丸をつけてきた。広島ユース時代の17年3月、高3に進級する直前にクラブとプロ契約を結んだ。ただ17、18年の2年間はトップで出場なし。プロ3年目の19年は、ベテラン林の故障の影響で2月のACLプレーオフで公式戦デビューを果たすと、J1開幕戦を含めて計29試合に出場した。

「19年の自己採点は60点くらい。もっと広島に貢献したかったが(順位は6位で)結果を残せなかった。その悔しさでマイナス40点です」

大迫は東京五輪開会式のある7月24日の4日後、28日に21歳の誕生日を迎える。五輪は基本23歳以下の年齢制限がある大会で、大迫はいわば飛び級の扱いだ。さらに昨年の代表活動の基本は五輪世代だったが、6月の南米選手権でA代表デビュー。12月の東アジアE-1選手権でもA代表で参加し、香港戦にフル出場した。22年W杯カタール大会も視野に入ってきた。

「A代表は常に目指しているところ。自分がゴールマウスを守る気持ちを忘れずにやりたい」と大迫。今月8日にバンコクで開幕するU-23アジア選手権にも同日本代表で出場する。「アジアは特に韓国、中国は球際の強さがある。そこに立つだけでも経験値になる。結果を求めながらやりたい」と闘志を燃やす。

座右の銘は「現状維持は衰退の1歩、志高く上を目指せ」。手本はドイツ代表GKノイアー(Bミュンヘン)。広島城福監督から「代表で刺激を受け、成長するための方法論を考えるいい機会にしてほしい」とエールを送られる。急成長する大迫が今年の主役になる。【横田和幸】

■練習量も人気もナンバーワン

<大迫敬介こんな人>

広島の練習場は広島駅から北東へ約43キロ、人口約2万8000人の安芸高田市にある。大迫は鹿児島の中学卒業を前に10クラブほどの勧誘を受けたが、広島を選んだ。同市にはユースの選手寮、選手が通う県立吉田高、トップと同じ練習場があり、競技に打ち込める環境が決め手に。足立修強化部長は「鹿児島から来た時から、どう大切に育てるかを考えていた。早く上のレベルでやらせたかった」。

年俸は19年途中にA契約に昇格して推定670万円となり、今年は同1000万円にアップした。練習量は広島NO・1で、練習後に求められるサインや写真撮影も最多になった。オムライスが好物で「とにかくお相撲さんのようによく食べる」と足立強化部長。好きなアーティストはB’zで女優は新垣結衣。多忙を乗り越えるすべは? 記者の問いに「シーズンに終わりはないと考えることです」。どこまでもまじめだ。

◆大迫敬介(おおさこ・けいすけ)1999年(平11)7月28日、鹿児島県出水市生まれ。中3でU-16日本代表に選ばれ、18年U-19アジア選手権ではベスト4に入って19年U-20W杯出場権獲得に貢献。96年アトランタ五輪でブラジル撃破の立役者GK川口能活の動画を見て五輪への動機付けにする。家族は両親と兄、弟。趣味はギター、読書。186センチ、86キロ。