代表山根を育んだ高校時代の秘話 仲間を見捨てぬ男

日本対韓国 前半、先制ゴールを決める山根(2021年3月25日撮影)

サッカー日本代表MF山根視来(27=川崎フロンターレ)が25日の国際親善試合・韓国戦で代表デビューし、先制点を挙げ右サイドバックの競争に猛アピールをした。茨城・ウィザス高(現第一学院)で山根を指導した恩師の大石篤人氏(現大阪学院大コーチ)は、テレビで山根の雄姿を見届けた。試合後、山根にデビューと得点の祝福メールを送ると「ありがとうございます。このまま頑張ります」と返信があった。

大石氏は、山根が高校1年時に部長、2、3年時は監督として指導に当たった。山根は東京ヴェルディ・ジュニアユースから入学。当時の印象を「まだ体ができてなくて、細身でヒョロヒョロ。足下がうまくて、頑張る選手だというイメージでした」と振り返る。

通信制の高校でサッカー部は全寮制。山根のようにユースに昇格できなかった選手のほか、強豪高校を中退し編入してきた選手など顔ぶれはさまざまだった。今でも印象に残っているのは、制限時間内にチーム全員がゴールしなければならない、走力を鍛えるメニューでの情景だ。山根は12分間走など走力は常にチームでぶっちぎりのトップだった。

大石氏 走れない選手もいるわけで。その中で(山根が)走れない選手の手を引っ張って走っていた。時間内に入るために必死で引っ張って走っていた姿は今も残っています。

脱落しそうになる仲間を決して見捨てない。責任感は当時から抜群だった。体を大きくするため、寮の食事では、コーチと「どっちが多く食べられるか」と競って山盛飯を食べていたのも思い出の1つだ。

東京V・ユース時代はFWで、当初、大石氏は2列目で山根を起用していた。「2列目から前に出て行ったり。ストライカーよりはチャンスメークするイメージでした」。山根の他にFWには強力なライバルの選手がいた。大石氏は両者を生かすため、山根をボランチにコンバートする決意をした。「もったいないし、彼を生かすためにと考えたときにボランチをと。本人も、試合に出た方がいいからというのがあったのかな」。

守備ではプレスバック、攻撃では前にボールを預けて自分がゴール前に入り込み上下運動を繰り返し、持ち味の走力が生きた。今でも忘れられないのが、11年秋の鹿島学園との高校選手権・茨城県大会決勝だ。1-2で敗色濃厚だったロスタイム、ボランチの山根がゴール前に入り込み、起死回生の劇的同点弾を決めた。その後、PK戦で敗れ、全国切符はならなかったが、当時から大事な局面をものにする力は持っていた。

「韓国戦を見ていて、こいつだったら取るよなと。湘南時代、審判の判定で話題になった(2019年5月17日の)浦和レッズ戦でも(後半ロスタイムに)決勝点を取ったじゃないですか。そういうところで(点を)取る星の下にいたんだなという話を、(大学の)スタッフともしていました」

高校時代、欠かさず続けていたのが居残りのシュート練習。同学年で、同じ東京V・ジュニアユースから入学したGKを相手に、練習に励んだ。ボランチにコンバートされた後も、シュート練習は続けてきた。10代のころから積み重ねてきた努力が、日本代表デビュー戦の大舞台での得点にもつながったに違いない。

大石氏は高校時代の山根がプロになれるとは、正直、思っていなかったという。ウィザス高の監督の前は、前橋育英でコーチをしており、細貝萌、田中亜土夢らを指導。「細貝、田中がプロになる、プロでやっていけるとは思いましたが、山根に関してはなかった。いい意味で期待を裏切ってくれましたね」としみじみと語る。

桐蔭横浜大、湘南ベルマーレを経て、20年から王者の川崎フロンターレでプレーする。今は4バックの右が主戦場で、ベストイレブンにも輝いた。「今(4枚の右サイドバック)が一番合ってるかなと思う。本人も分かっているように、川崎では自信を持って(前線に)上がっても、ボールを失わない、カバーをしてくれる仲間がいますから。プロで好調をキープするところが難しい。活躍を長く続けて、代表に長く定着する選手になってくれれば」。水を得た魚のようにプレーする教え子のたくましくなった姿に目を細め、飛躍に期待を寄せた。

【取材後記】 高校時代、大石氏が部員に口酸っぱく指導したのは「相手がどう来て、何を狙おうとしているのかを考えてプレーすること」だった。川崎フロンターレの担当時代、中村憲剛氏がよく口にし、記者も耳にしていた言葉と同じだ。コロナ禍の前、最後に山根を対面で取材したのは川崎Fに加入した直後の20年2月。川崎Fは「止める・蹴る」の技術はもちろん、全員が立ち位置、顔を出す場所を意識し「目と頭」を早く動かすことが求められる。「川崎でサッカー偏差値は上がった?」と問うと「ずっと低いです。僕は頭でやってきた選手じゃないから」と答えていた。

だが今は思う。この言葉は謙遜だったのだと。技術と思考が伴わなければ、川崎F加入1年目で4得点6アシストの結果は残せない。今季も7試合4アシストと得点に絡んでいる。代表でも、短い練習期間ながらも右MFの伊東が外に張れば山根が中に、伊東か中に入れば外に、立ち位置と距離感をしっかり考えながらプレーしていた。高校時代の教えは、山根のサッカー人生の根底に生きているに違いない。【岩田千代巳】