森保監督、中国戦ドーハの悲劇の地で覚悟「死の物狂いの上を行く準備を」

21年8月30日、練習を見つめる森保一監督

サッカー日本代表が7日(日本時間8日未明)にワールドカップ(W杯)アジア最終予選の第2戦、アウェー扱いの中国戦に臨む。2日のホームでのオマーンとの初戦に0-1で敗れた。まさかの黒星発進で、いきなり正念場。森保一監督(53)が開催地、現役時代に「ドーハの悲劇」を経験した因縁の地から6日にオンラインで取材対応。まさに決死の覚悟で臨む心境を「(中国は)死に物狂いで挑んでくる。その上をいく準備を」などと、語った。離脱者も続出し、地上波でのテレビ中継もない中、まさに絶対に負けられない戦いを迎える。

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「ドーハの悲劇」の地で、森保監督が生き延びようと戦う。黒星発進で窮地に立たされた森保ジャパン。指揮官はこの日までに、自身の反省をチームにも伝えたという。「もっと選手に意思統一できる“絵”を持たせることをやらないといけない。私の反省であり、責任」。戦い方のイメージ共有の大切さを痛感。アジアの盟主として追われる立場。監督として、批判も受けながら、いきなり迎えた正念場の戦いに向かう。

やられたオマーン同様、中国も徹底した日本対策をしてくる可能性は十分。「日本に対しては分析して、モチベーションも高く、死に物狂いで挑んでくる。その上をいく準備をしないといけない」。相手以上の、生きるか死ぬかの覚悟がなければ足をすくわれる-。「死に物狂い」の「その上」が生であるならいいが、まさかの死では、取り返しがつかない。6大会連続で本大会に出場してきたが、それぞれの最終予選で連敗は1度もない。

前回も黒星発進だったが、タイに勝って巻き返した。ただ、今回の中国は国籍取得選手を複数抱え、両国の関係性も絡み、やっかいさはタイの比ではない。黒星発進同士、互いに負けられない。ドーハ入りした3日は新型コロナの検査に時間がかかり、練習できなかった。日本は海外組が多く、欧州-日本-ドーハの長距離移動、そして中東の猛暑も選手を消耗させる。サポーターに戦いを届けるすべも限られる。アジア・サッカー連盟(AFC)の放送権契約により、日本では地上波放送がない異例の試合となる。

舞台は、現役時代にW杯を目前で逃す「悲劇」を経験した因縁の地。負傷と疲労で、主力の南野と酒井も離脱して不在。それでも求められるのは、勝利、勝ち点3だけ。「ドーハの思い出は過去のことで、完全に個人的なこと」と悲劇との関連性を断ち切るように、口にした森保監督。土俵際から巻き返しに出る。【岡崎悠利】

◆ドーハの悲劇 勝てば初のW杯出場が決まる試合で終了間際に失点して引き分け、W杯切符を逃した日本サッカー史上、最も悲劇的な出来事。1994年のW杯米国大会のアジア最終予選で、日本は93年10月28日にカタール・ドーハでイラクとの最終戦に臨んだ。カズと中山が得点。中盤のラモスや森保も奮闘し、2-1で終盤へ。W杯切符を手中にしたかという展開の中、相手にCKを与えた直後にロスタイム突入。イラクはショートコーナーからのクロスにオムラムが頭で合わせた。ボールは放物線を描き、日本のゴールに吸い込まれ、2-2で引き分けてしまった。日本は韓国と2勝2分け1敗で並んだが、得失点差で3位となり、2位以上に与えられるW杯切符を逃した。

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日本同様に黒星発進となった中国だが、絶対に侮れない。キーマンは中国国籍を取得したブラジルと英国出身の選手たち計4人。0-3で敗れたオーストラリアとの初戦にはFWエウケソンが1トップで先発起用された。アジアの舞台で、Jクラブを相手に通算14得点という“日本キラー”も前線に孤立。見せ場はなかった。最終ラインにはイングランドの年代別代表歴もあるDFブラウニングが入った。

ブラジル出身の残るFWアラン、FWアロイージオの2人はベンチ入りしたが、出番なし。過去にオーストリア1部のザルツブルクで88試合59得点というアランは、スピードとテクニックが武器。アロイージオは身長173センチと小柄だが「野牛」と称される強さが特徴。攻撃の際、3人が並んだ時の破壊力は恐ろしい。

“地の利”もある。中国は早い時期からドーハに入り、調整を進めてきた。暑さに慣れているだけでなく、ピッチの感覚もつかんでいるはず。日本戦も初戦と同じスタジアムで戦う。アドバンテージを生かしてくるとみられる上、日本を標的としている中国はW杯には日韓大会の1度しか出ていないが、習近平国家主席のサッカー熱もあり、国を挙げた強化を進めている。

<日中戦でのトラブル>

◆軟禁  04年8月の中国でのアジア杯は、大荒れだった。ジーコジャパンは優勝したが、日本協会発行の海外メディア向け小冊子の中のアジア地図で中国と台湾の色が違ったことを中国側が問題視。政治色が強まり、騒ぎは、尖閣諸島の領有権問題へと発展。日本は終始逆風の中で戦った。決勝では6万大観衆からブーイング。ごみが投げられ日の丸が焼かれた。3-1で日本が勝利も、日本人サポーターは約2時間軟禁状態。日本代表も、足止めを食らい、未明になって帰路についた。

◆暴力試合  08年2月20日(中国・重慶)、東アジア選手権の第2戦で日本は中国に1-0で勝利したが、試合は荒れに荒れた。DF安田は跳び蹴りを食らい負傷退場。MF鈴木は首を絞められた。

◆殺人キック 19年12月10日(韓国・釜山)、日本は東アジアE-1選手権で中国と対戦。2-1で勝ったが、右サイドでボールを受けようとしたDF橋岡が、後方から相手DFに跳び蹴りを食らった。後頭部を直撃したラフプレーだったが、警告のみ。