日本代表W杯かかる一戦実況は森保監督30年来の友人西岡明彦アナ 不思議な巡り合わせと思い語る

DAZNで日本-オーストラリア戦を実況する西岡明彦アナウンサー

サッカー日本代表のW杯出場がかかった24日のオーストラリア戦は、動画配信サービス・DAZN(ダゾーン)で独占配信される。

実況はフリーの西岡明彦アナ(52)。これまで、日本代表のW杯決定の瞬間は地上波で放送され、局所属のアナウンサーがその瞬間を伝えてきたが、今回は初めてフリーアナウンサーが大役を担う可能性が出てきた。西岡アナは森保一監督(53)とは30年来の友人で、森保監督のマネジメントをサポートする間柄。不思議な巡り合わせとなる実況への思いを聞いた。【取材・構成=岩田千代巳】

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12年11月14日。西岡アナは、森保監督が率いた広島の優勝がかかったC大阪戦の実況をスカパーで担当した。広島が勝ち、仙台が敗れ優勝が決まった瞬間、感極まり、1分20秒の間、何も言葉を発することができなかった。

西岡アナ 本来、プロとしては失格です(笑い)。当時、(森保監督が)初監督ということでシーズン前に番組の企画で対談して「いつか森保監督の優勝ゲームを中継できたらいいですね」と話していた。最初、スカパーから「この試合どうですか」と言われた時、受けていいか正直、あったんですよね…。でも、こんなこともないと受けたら、いろんなことが思い起こされて泣いて言葉が出ないという…。良くないという放送です(笑い)。

それから、10年。今度は森保監督が指揮する日本代表の大一番で、実況アナを務める。フリーに転身した98年は、CSや配信メディアの普及はまだなく、五輪やW杯などのビッグイベントの中継から縁遠くなるのは覚悟していた。だがメディアも多様化し、CSでW杯、欧州CLなどサッカーの大きな試合の実況を経験してきた。そして、今回の大役。「関心が高くて、アウェー戦はDAZNのみということが重なった中で、たまたま僕だったという。普段と変わらないと感じです」と冷静に話す。

西岡アナ 今回は出場を決める試合ですし、スタジオからの実況なので。モニター越しで見ていて感極まっていたら、それこそプロ失格ですよね(笑い)。監督が泣いていたら、それを見てもらっちゃうかもしれませんが…。どちらかというと、みんなで喜んだりするんじゃないかな。出場を決めて泣いた選手や監督って見たことあります? リーグで優勝して泣く人はいるじゃないですか。優勝で泣くのは分かるんですけど、出場を決めて泣くことはないかなと。

広島優勝の時とは異なり、今回はスタジオで、解説の中村憲剛氏、ゲストの岡田武史氏と内田篤人氏と同じ空間にいる。涙ではなく笑顔でW杯出場を伝えることになりそうだ。

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森保監督とは広島ホームテレビ入社した92年からの付き合いだ。就職活動で知り合った友人が、広島の選手だった森山佳郎氏の親友だった縁もあり、練習に足しげく通った。森山氏を中心に、各選手との交流が深まり、森保監督もその1人。練習後には、選手が通うレストランで共に食事をし、ゴルフの打ちっ放しの練習に出かけることもあった。シーズン後に選手とメディアのゴルフコンペが行われた際は、西岡アナがメディアの幹事、森保監督が選手側の幹事を担当し、2次会の店も手配してくれた。04年からは、西岡アナの事務所が森保監督のマネジメントをサポートし、公私での交流が続く。

涙もろいのは2人の共通点だ。西岡アナは試合の実況で、引退選手が家族から花束を受け取るシーンでは、思わずもらい泣きをしてしまうという。森保監督も代表の試合で君が代を歌いながら目を潤ませる場面があった。

西岡アナ そこは近いと思います(笑い)。選手時代、シーズン最後に、彼が幹事で毎年、(引退や移籍する選手の)お別れ会を開いていた。同席したことがありますが、ライバルの選手もいる中で、自分は広島に残るのに、いつも一番最初に泣いてましたから。

東京五輪と日本代表の監督のオファーを受けた際、岡田武史氏から家族が大変な思いをする話は聞いていたが、西岡アナは「やるだろう」と感じたという。

西岡アナ 身の危険の心配より、結果がすべての世界だし、こんな話はなかなかないだろうし。ただ、五輪からフル代表までは想定外でしたけど。

監督就任後、勝てない時期はメディアやSNSで批判が巻き起こった。敵地でのサウジアラビアの敗戦後には、解任の文字も躍った。マネジメントに携わる立場としてはどういう思いだったのだろうか。

西岡アナ それは仕方ないというか。本人もそれは分かっていると思いますし、「やる」と言った時の覚悟は、それも踏まえてだし。批判記事も本人の中では何でもない。「結果も出ていないし、記者の方もプロですから」という発想。監督就任前、海外まで追いかけてきた記者に苦言を呈したそうですが、後に「記者としてはプロだよね」と認めていましたから。僕も記事は見ますので、(解任報道の時は)多分、そういう準備が水面下で進んでいるのを取材しているから記事になるわけで。埼スタのオーストラリアでは、もしかしたら、というのは感じていました。

だが、崖っぷちから一気に5連勝し、W杯に王手をかけた。逆境でもぶれない胆力にも一目置く。

「そういうのを持ってくる力がある。急にサッカーを変えたとか、選手選考が変わったとかはないと思うんですよ。そうでないと、広島で3回も優勝しないですから。スタートは悪かったけど、やっていることは変わってはないなと僕は思っていますし。そこがぶれていたら持ち直すこともなかっただろうし」

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長い付き合いが続くのも、森保監督の人間的な魅力にひかれたことが大きい。広島で主将、監督と、チームをまとめる立場になっても、上から直線的に物を言うのではなく、まず「相手がどうしたいのか」に耳を傾ける姿を見てきた。

西岡アナ 気配りが出来るのはすごいなと。自分の考えを持っていてもまず「どう?」と最初に聞きます。そこはすごいなと。

試合に出ていない選手への配慮も怠らない。コーチ陣には信頼して役割を任せ、常に選手の長所を探そうとしていた。人への不平不満は聞いた事がない。代表監督へ立場が変わっても、その姿は変わらない。

西岡アナ 本人は選手としてもエリート街道を走ってきた人ではない。スピードや技術があるわけではない、ただ頑張るのがプレースタイルですけど、そこを見つけてくれた指導者がいたことが根底にある。出会いも含めて人生を変えるというのも本当に分かっている。だから、いろんな選手のいいところを見つけてあげようと。すごく限られた時間ですけど映像はすごく見ている。選手やスタッフから「この人のために」と思わせる魅力があるんだと思う。

西岡アナも、決してアナウンサーとしてエリート街道を歩んできたわけではない。就職試験では、東京、名古屋のテレビ局を受験も全滅。だが、広島ホームテレビに欠員が出て、テレビ朝日のアナウンサー部長からの誘いがあり入社試験をを受け、プロ野球とJ1があるスポーツの盛んな地でアナウンサーとしての1歩を踏み出した。

地方局スタートだが、逆に1年目から高校野球地方大会の実況を任され、2年目にはプロ野球も実況。早くから大きな舞台を経験できたことが大きかったと感じている。

今は事務所で複数のフリーアナウンサーを抱える。後輩アナの台頭が、逆に自分も「負けられない」と刺激を受ける。

西岡アナ 競争がないといいものはできない。クオリティーが落ちていれば、次の人に取って代わられるのが自然。それに負けないように自分もやらないといけない。それがフリーランスの自然な原理。スポーツと同じで、ライバルがいると自分が成長できるのと同じように、そこはすごく必要じゃないかなと思います。

出会った当初は、森保監督が広島を指揮し、代表監督になる姿は想像はしていなかった。だが今、森保監督が日本代表監督、西岡アナがW杯カタール大会を決める試合の実況として“タッグ”を組む。どんな言葉でその瞬間を伝えるのか。2人の長い絆がかいま見える瞬間になりそうだ。

◆西岡明彦(にしおか・あきひこ) 1970年(昭45)3月1日、名古屋市生まれ。ナゴヤ球場で中日の選手を取材する記者を見てスポーツ関連の仕事に興味を持つ。キー局、名古屋の局は落ち、92年に広島ホームテレビに入社。98年に退社。1年間、英国留学をした後、スカイスポーツののプレミアリーグ実況でフリーアナウンサーとしてのキャリアをスタートさせる。スカパー!で02年のW杯日韓大会、06年のドイツ大会、10年の南アフリカ大会の実況も担当。

<過去のW杯を決めた試合の放送>

◆98年フランス大会予選イラン戦(97年11月16日)=フジテレビ、長坂哲夫アナ

◆06年ドイツ大会予選北朝鮮戦(05年6月8日)=テレビ朝日、角沢照治アナ。

◆10年南アフリカ大会予選ウズベキスタン戦(08年6月6日)=テレビ朝日、角沢照治アナ。

◆14年ブラジル大会予選オーストラリア戦(12年6月4日)=テレビ朝日、吉野真治アナ。

◆W杯ロシア大会予選オーストラリア戦(17年8月31日)=テレビ朝日、進藤潤耶アナ。