オシムさん墓前にささげた日本の絆 田嶋会長がサラエボに届けた代表ユニ 感謝の心何よりも優先

サラエボで元日本代表監督オシム氏の墓参りをする日本協会・田嶋幸三会長(右)。左はアシマ夫人(JFA提供)

<We love Soccer>

オシムさんと日本サッカーの絆は永遠に続く-。

サッカーの元日本代表監督で5月1日に死去したイビチャ・オシムさん。日本を愛し愛された名監督と、日本サッカー協会との絆。日本サッカー協会トップの知られざる行動と、その思いを、サッカー担当歴約25年、盧載鎭(ノ・ゼジン)記者による「We Love Soccer」でお届けします。

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オシムさんの葬式から1週間後の5月22日、日本協会の田嶋幸三会長(64)は、サラエボに向かった。同市内にあるオシムさんの自宅を訪ねアシマ夫人、長女イルマさん、長男アマルさんと4時間もオシムさんの思い出話で生前を振り返った。その後、オシムさんが眠る同市内のお墓へ。日本から持参した日本代表のユニホームをささげた。

同会長が渡欧した公式の目的は、ドイツ・デュッセルドルフの日本協会事務所の視察だった。欧州組が増え、今後もほとんどの代表選手が欧州クラブに所属することが予想されるため、同事務所をさらに充実させることなどを視野に入れている。国際サッカー連盟(FIFA)理事も務めており、FIFAから届いた欧州CL決勝(パリ近郊サンドニ)の招待にも応じ、さらに日本代表の元監督トルシエ氏に会って、02年ワールドカップ(W杯)日韓大会20周年記念イベントへの参加を確約。日本人選手が所属しているクラブも訪れるなど、1週間で、超ハードスケジュールをこなした。

その中でも、欧州に着いて真っ先に向かったのはサラエボだった。決められた公式日程より、オシムさんに感謝の気持ちを伝え、最後のあいさつを直接するのが、同会長にとって最も重要だった。

「オシムさんは、日本サッカーのことを本当に思ってくれたし、発展させようとしてくれた」

1週間前の葬儀に日本協会幹部を派遣したばかりだが、会長自らも足を運んだ。

自分なりの基準で筋を通す。思えば、W杯ロシア大会直前にハリルホジッチ監督を解任する際、同会長はフランスに向かい、同監督に会って直接事情を説明した。本来なら技術委員長や副会長など、部下を派遣しても何ら不思議はない。しかも怒りが極限に達している同監督への説明は、できれば避けたいところ。

田嶋会長は「技術委員長の西野さんは次期監督に内定していたし、やはり最終決断をした私が説明に行くべきだと思った。当時はハリルさんがあまりにも怒っていたため、まともな会話はできなかったけどね」。それから4年。モロッコ監督となった同監督とは4月1日のW杯カタール大会組み合わせ抽選会(ドーハ)で再会した。「もうハリルさんは怒ってなかったよ。握手もしてハグもしたよ。代表のこともいろいろ話したしね」。

同会長の誠意は、閉じていたハリルホジッチ監督の心を開いた。おそらく天国のオシムさんにも、感謝の気持ちは伝わったはずだ。【盧載鎭】

◆イビチャ・オシム 1941年5月6日、旧ユーゴスラビア(現ボスニア・ヘルツェゴビナ)サラエボ生まれ。ユーゴ代表として64年に東京五輪出場。引退後に指導者となり、86年にユーゴ代表監督に就任。90年W杯でストイコビッチ(元名古屋、現セルビア代表監督)らを擁し8強。その後シュトルム・グラーツ監督などを歴任。03年にJ1市原(現千葉)監督に就任。05年にナビスコ杯(現ルヴァン杯)優勝。06年7月に日本代表監督に就任。07年11月に脳梗塞で倒れ退任。その後は母国ボスニア・ヘルツェゴビナ協会の正常化などに尽力し、14年W杯での初出場を実現させた。家族はアシマ夫人と2男1女。今年5月1日に自宅のあるオーストリアのグラーツで死去、80歳。