【森保一×原辰徳】イチローを外すことは侍の否定…吉田麻也が同じ、でも「逆説も考える」/1

対談する森保監督(左)と巨人原監督(撮影・河田真司)

<W杯カタール大会11・20開幕 あと99日>

ワールドカップ(W杯)カタール大会開幕まで、12日で100日となった。サッカー日本代表森保一監督(53)が、節目の日を前に、巨人原辰徳監督(64)との対談に臨んだ。W杯で初のベスト8を目指す指揮官、09年WBCで世界一に輝いた名将。がっぷり四つで、膝を突き合わせた。【取材・構成=浜本卓也、栗田尚樹、岡崎悠利】

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回転扉をくぐり、地下からグラウンドへと続く長い階段を下った。7月6日、東京ドーム。どこかひんやりとした空気が流れ、独特な緊張感に包まれている。辺りに目を凝らしながら、森保監督は歩みを進めた。一冊の書籍をかばんに忍ばせて。一塁側ベンチに着くと、原監督が、ヤクルト戦前の練習に招き入れてくれた。背筋を伸ばし、直立不動で見学。約30分後、用意された応接室に足を踏み入れた。尊敬する師との時間が始まった。

-W杯が迫ってくる中で、森保監督にとって、一番気になっていることは

森保監督 今の選択肢では選手選考が難しいことかなと思う。日本代表としてW杯の舞台で戦いたいと思っている選手たちはたくさんいるし、そして力のある選手がたくさんいる。その中で決められた人数を選ばないといけないことが大変なことかなと思う。

-原監督が09年WBCで大事にした選考基準とは

原監督 何がこの日本代表チームに誇れるだろう? というのをまず主眼に置くでしょうね。僕が09年の時にはスピード、それと団結力。チーム力。これだけは、世界の名だたるチームに負けない、ということでスタートしましたね。

-和を重んじる選手を選んだ

原監督 もちろん、イチローという選手は1番に決めたと言えば、決めた。その次にと言われた場合には、バイプレーヤー、サブプレーヤーを決めた。レギュラーは10人ないしDHで11人。そういう形で、そして4、5人のサブプレーヤーの人たち。そういう、役割を持たせたチーム編成にしましたね。

森保監督 とても参考になります。

原監督 まあ誰と、このメンバーで成功するか、あるいは、勝つことが大目的ではあるが、そのためにどういう特徴を持ったチームにするかというのは必要ですよね?

森保監督 はい、そうですね。はい。

原監督 だから、僕は今回、代表選考は監督が一番頭を痛める、あるいは、いろんなものを描きながら、4年間の中で、ページ数にするならば、まあ何ページあるかわからない。その中で、簡素化したページを作るのがメンバー選考でしょ。そこはね、非常に、決めた時点でほとんど戦い方、あるいは強豪国といわれるグループ、その勝てる風景というのは絶対に描いているはず。それでなければメンバー構成は難しいでしょ?

森保監督 はい。そうですね。今まで積み上げてきたものも、これまでの日本サッカーの壁を破る、ベスト8の層に入ると考えてやってきました。そのサッカーの積み上げを少しでもレベルの高いものにして、W杯に臨もうと思っています。

-森保監督にとって、選手選考で大事にしたい基準とは

森保監督 原監督と同じ感覚は持っています。スピードがあること。おそらく世界と戦うのに、もちろん走るスピードもだが、考えるスピードも、フィットネスのアジリティー、モビリティーの部分、日本人が持っている世界に通用する速さ。そこは選手選考と、チーム作りに生かしていきたい。

原監督 サッカーで難しいと思うのは、野球というのは投手、捕手、ファースト、セカンドとポジションが決まっている。動かすことは当然できるが、サッカーはフィールドの中で、どこに誰を置いてもいいという。そこが監督さんの能力というか、監督さんのマネジメントというのは、これはすごいもんだろうなと。とてもじゃないけど、僕は野球は出来てもサッカーは無理だなと(笑い)。

森保監督 はっはっはっ。いえいえ、カリスマ性がありますから(笑い)。

勝負の世界には掲げる理想と避けられない現実が存在する。09年WBC準決勝では先発だったダルビッシュをリリーフ起用した。

原監督 まあしかし、そこが監督の仕事じゃないでしょうか。出来得ることでしょうし。まあ、結果を考えると何も出来なくなるところはありますよ。先発しか経験のないダルビッシュをあそこで出したのはね、新しいものを作ろうとして、強い信念があるのなら、やれるというのが監督ですから。説得するのに1日半くらいかかりましたけどね。

張り詰めた乾いた空気に、一同の笑い声がこだました。

-ダルビッシュのリリーフ起用は「大丈夫か?」という世間の声もあった

原監督 決勝戦は9回も0点に抑えれば勝っていたが1点取られた。でも1点取られたじゃなくて、1点に抑えたんです。それで次の10回に、イチローが2点タイムリーを打つことが出来た。あそこはね、全く結果がどうなったとしても、後悔はしていないと思う、それくらいの決断。

多くの勝ち負けを体で知る原監督だから発する言葉。森保監督は、ひたすらうなずき、聞き手に回った。

原監督 勝負というのは勝ちに行くことが目的だが、最善の策を尽くしても、負ける時もある。その時にどう思えるかですよ。監督として、あるいはチームとして。確かに結果は勝負の世界として勝たないといけないという人もいるが、監督というのは勝つ負ける、というもの以前に、すごいものと闘っているんだよ。どんな結果が出ようが、自分の中で胸を張れる、あるいは、どこかに誇れる、そういうものが、言うことではなく心にないと、なかなか戦えないと思いますよ。だから(森保監督も)思い切った選手を呼んだり、思い切った戦術を使われるじゃない。それも多分、11月本番のためにやられていることだから。

目を見開いた森保監督。言葉をかみしめた。

-原監督にとって、不振だったイチローを外す考えはなかったのか

原監督 あのね、やっぱり最初にグラウンドに出て最後まで練習していたっていうね。それと強い責任感、チーム愛は、比べものにはならないですから、彼を外すというのは頭の片隅にもなかったし、外すことというのは日本代表、侍ジャパンを否定することになる。それは全くなかったですね。

-森保ジャパンにおける、イチローは

森保監督 原監督は最初にイチローを選んだと言っていて、それで、イチローを最後まで代えなかったのもすぐに理解できたというか。吉田麻也はイチロー選手と同じような存在ですよ、それで言うと。ただ自分は、逆説も考えるというか。絶対に代えない、ということはしない。自分は原監督のような考え方はしないなとも思いましたね。

キャプテン吉田とは一心同体。だからといって、席が約束されたわけではない。

森保監督 いずれにせよ、終わった時に、結果がどうであれ、後悔しないプロセスを踏む、まさにそうだなと思って。勝利を目指すのは、どの親善試合でも公式戦も変わらない。日頃から思っているのは、W杯予選も、もちろんそうだが、結果がどうであれ、チームの勝利のためにと、日本サッカーの発展を考えてチーム作りをして、試合を終えたときに自分に後悔がないように、選手選考から戦いをやっていこうと思っていたのを思い出しました。

原監督は、何度もうなずいた。

森保監督 野球にも監督がいてコーチがいて、スタッフがいてというチーム作りをしていると思いますが、みんなが1つのチームになって、終わった時に、勝って喜ぶのが1番だが、そうでなかった時にも戦友だったと思えるように、振り返れるように、一致団結して戦いたいと、日頃から思っています。

原監督 いいね。

※2に続く。

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◆原辰徳(はら・たつのり)1958年(昭33)7月22日、福岡県生まれ。東海大相模で甲子園4度出場。東海大を経て80年ドラフト1位で巨人入団。1年目に22本塁打で新人王。83年打点王、MVP。ベストナイン5度、ゴールデングラブ賞2度。95年に引退し、99年にコーチで巨人復帰。02年監督就任し、日本一。03年退任も06年復帰し、2度のリーグ3連覇。15年に退任し、19年に3度目の監督就任。22年から新たに3年契約を結び、今年で通算16年目。リーグ優勝9回、日本一3回。09年WBCでは日本代表を率いて世界一。02、09、12年正力松太郎賞。18年野球殿堂入り。180センチ、86キロ。右投げ右打ち。

◆森保一(もりやす・はじめ)1968年(昭43)8月23日、静岡県掛川市生まれ、長崎県長崎市育ち。現役時代のポジションはボランチ。長崎日大高から87年にマツダ入り。92年にオフト監督の日本代表に初選出。93年にドーハの悲劇を経験。04年に現役引退し広島のコーチに就任。12年に監督となり、J1を3度制覇。17年10月、東京オリンピック(五輪)を目指す日本代表の監督に就任。18年には西野ジャパンのコーチとしてW杯ロシア大会を経験し、大会後の7月に五輪代表との兼任でA代表監督に就任した。東京五輪は4位。A代表は7月の東アジアE-1選手権で優勝し初タイトル獲得。愛称は「ポイチ」。国際Aマッチ35試合1ゴール。174センチ、68キロ。

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