【W杯連載】鷺沼の「翼くんと岬くん」エブリサ藤沢の岸晃司が見ていた三笘薫の真面目!

川崎FのU-12時代の三笘(左)と岸(右)

<悲劇から歓喜へ 森保ジャパンinドーハ(6)三笘薫>

ブライトン日本代表MF三笘薫(25)の勢いが、止まらない。2戦連続でスタメン出場の5日のウルバーハンプトン戦では、プレミア初得点。同試合では全得点に絡み、地元紙のマン・オブ・ザ・マッチに選ばれた。前節のチェルシー戦では、プレミア初アシスト。ワールドカップ(W杯)カタール大会へ絶好調の三笘にも、かつてライバルと言われた男がいた。岸晃司(25)が、三笘との思い出を口にした。

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「鷺沼に翼君と岬君がいる」。今から十数年前。神奈川のサッカー界では、そんなうわさが流れた。1人は、ブライトンの日本代表MF三笘。もう1人は、三笘の同学年。「昔は岸の方が、三笘よりも、うまかった」。関係者の中には、そう言う人もいた。三笘のかつてのライバルは、神奈川県社会人サッカーリーグの2部エブリサ藤沢ユナイテッドにいた。

鷺沼から電車で約1時間。辻堂駅に、岸はいた。「キャプテン翼の岬君と翼君って例えられていましたね。見ていなくても、薫がどこにいるか、何となく分かる。薫もそうだったと思うんですけど」。ともに、地元の強豪・さぎぬまSCで小学校時代はプレー。三笘はトップ下、岸はストライカーだった。「薫は本当に、気が使えるドリブラー。2人で完結出来ちゃうんです」。漫画の世界のような、名コンビだった。

「僕が翼君ってことにしてくださいよ」。小学2年の時には、川崎フロンターレの下部組織に2人そろって合格。順調にU-12、15、18とステップアップ。岸は「薫とは別の小学校だったんですけど。これはうわさなんですけど、彼のファンクラブがあったんです。本人は否定しますけどね(笑い)」。イケメンぶりは、今も昔も変わらなかった。

三笘はとにかく、負けず嫌いだった。岸は「一緒にサッカーゲームのウイイレとかやっていても、薫は負けると黙る。こっちが気遣うぐらいですよ」と笑う。「ゲームの中で薫はドリブルが多いイメージでしたね。当時、クリスティアーノ・ロナウドが好きで、クリロナを使っていましたね。僕はパスを回すチームが好きで、バルセロナとか使ってました」。ゲームの実力は、岸が上手だった。

三笘は真面目で、どこか人と変わっていた。川崎Fのユース時代。「練習場所の川崎駅から帰る時に、薫は1人だけ電車移動も勉強していたんですよね」。カラオケに行けば、当時大流行していた英人気グループ「ワン・ダイレクション」を熱唱。1人だけ、洋楽を歌っているのが三笘だった。岸は「1曲だけじゃなくて、ワン・ダイレクションを何曲もですよ。みんな『あ、またか』という感じでした」と懐かしんだ。

三笘は高校3年時、トップチーム昇格の話があった。だが「まだ実力が足りない」と筑波大へ進学。実は岸にも、トップ昇格の打診があった。同期では2人だけだった。「薫に電話したんです。『どうするの?』って聞いたら、『大学に行く』と言ったから、じゃあ俺もそうしようって」と専修大へ進学。初めての別れだった。

三笘は在学中に川崎Fの特別指定選手に選出され、卒業後に川崎Fの一員に舞い戻った。岸は大学在学中に故障などもあり、卒業後にサッカーを辞めた。「もう、いいやという感じでしたね」。不動産業の営業職に就いたが、これも長くは続かなかった。友人に誘われ、今は社会人サッカーに舞台を移す。「僕はプロは無理ですよ。さぎぬまSCって、1つ上に(板倉)滉君がいて、1つ下には(田中)碧がいた。薫もそうですけど、みんなサッカーが好きなんですよね。僕も好きだけど、向き合う姿勢が違う」と言った。

あの時、ともに川崎Fのトップに昇格していたら-。岸は「薫は通用していたと思います。薫と同じチームで、2人で崩したい。プロでどこまで通用したのかなという興味はあります」。運命は分からない。「薫とは同じ駅だけど、帰る時間が違った。薫は最初に練習場に来て、最後に帰る。そういう選手。向上心が違う」。別々の道へ進んだ鷺沼の翼君と岬君-。岸は神奈川のピッチで、三苫はプレミア、そしてカタールの地で、ボールを追う。【栗田尚樹】

◆三笘薫(みとま・かおる)1997年(平9)5月20日生まれ、川崎市出身。川崎Fの下部組織から筑波大に進学、20年に川崎F入り。同年ベストイレブン。東京五輪日本代表。21年にプレミアリーグのブライトンへ完全移籍。同年は就労ビザの問題で、ベルギーのサンジロワーズに期限付き移籍。今季からブライトンに復帰。国際Aマッチ9試合5得点。178センチ、73キロ。血液型O。