日刊スポーツでは新年度から新天地でスタートを切る北海道関連のアスリートや著名人を「カムカムスプリング」と題し紹介する。北広島市出身の元コンサドーレ札幌FW横野純貴(32)は今季、北海道リーグ(5月15日開幕)の北海道十勝スカイアースに加入。13年以来9年ぶりにプレーする北海道で、JFL昇格という新たな目標に立ち向かう。札幌時代、ゴン中山こと元日本代表FW中山雅史氏(54=現磐田コーチ)から背番号9を継承したストライカーが、今度は地域リーグの舞台から北海道をもり立てる。

再び北の大地で走りだす。横野は2月上旬からチームに合流。新年度初日の1日からは芽室町役場の地域おこし協力隊として、平日は主に午前9時から午後5時ごろまで働き、午後7時からのチーム練習に参加する。3児のパパは「現役でまた北海道に戻ってこられるとは思わなかった。まずJFL昇格。少しずつJリーグに近づいて、いつか札幌とダービーができるようになれたら」と思い描いた。

札幌時代同様、泥くさくゴール前に飛び込むスタイルを貫く。チームは昨年の天皇杯初戦で3カテゴリー上のJ2秋田を撃破。徐々に力をつけているが、JFL昇格を争う地域チャンピオンズリーグは、昨季まで5年連続出場も、悲願を果たせていない。昨年は1次ラウンド2分け1敗の3位で決勝ラウンドに進出できず。3戦1得点2失点と、守備力は付いてきたが、得点力アップが1段上がるためのカギだ。横野は「課題とする最後のピースになれたら」と意気込んだ。

レジェンド、ゴン中山氏が“師匠”だ。札幌では12年まで3季、同じFWとして練習し、多くを学んだ。「ゴール前への入り方からヘディングの当て方など。クラブハウスの風呂場で、いろんなことを教えてもらった。今でもテレビで活躍する姿を見ると背筋が伸びる」。12年に同氏が現役引退(15年に沼津で復帰)すると、13年に9番を継承。9への思い入れと「支えてくれた方たちへの感謝の思いを背負う」と、新天地では39番で戦う。

札幌、金沢、タイ、青森、奈良、大阪。J1からJFLまで4カテゴリーでプレー。札幌時代はブラジル留学を経験し、奈良、大阪での4年間は、子どもたちへのスクール指導も兼務した。新天地でも、スタイルは変わるが町のスポーツイベントなどに従事しながらプレーを続ける。「いろいろな方と触れ合う中で北海道十勝スカイアースがみんなに尊敬される存在になり、夢を持つ大切さを伝えられたら」。育ててもらった北海道に、目いっぱい恩返しする。【永野高輔】

◆横野純貴(よこの・じゅんき)1989年(平元)10月7日、広島町(現北広島市)生まれ。8歳から北広島西の里FCガンバでサッカーを始める。北広島西の里中時代は江別ユニオンでプレー。高校進学と同時に札幌U-18入りし、08年トップチーム昇格。同年9月28日J1東京戦でJリーグデビュー、11年6月19日J2岐阜戦で初得点。12年7月から当時JFLの金沢に期限付き移籍し13年に札幌復帰。14年からタイ2部コンケーンFC、J3福島などでプレーし、19年から昨季まではFC大阪(JFL)。J1は2試合無得点、J2は37試合7得点、J3は26試合1得点、JFL111試合24得点。家族は妻と1男2女。183センチ、78キロ。利き足は右。

◆北海道十勝スカイアース 95年ルードボーイズとして帯広社会人リーグ4部からスタート。06年の道リーグ昇格と同時にとかちフェアスカイFCに改称。08年に道東ブロックリーグ降格。10年に十勝フェアスカイ・ジェネシスに改称。11年に道リーグ再昇格を果たし、十勝フェアスカイFCに改称した14年に道リーグ初優勝、地域リーグ決勝大会初出場(1次ラウンド敗退)。17~20年に道リーグ4連覇。17年に十勝FC、18年に北海道十勝スカイアースに改称。20年は地域チャンピオンズリーグ4位と躍進。昨年はリーグ戦が5試合消化時点でコロナ禍のため中止も、首位だったため地域チャンピオンズリーグ出場(1次ラウンド敗退)。長野聡監督(39)。