東京城福監督、サラリーマン時代の上司手本/連載2

9日、ACLプレーオフのチョンブリ戦でサムアップする東京の城福監督

<J監督インタビュー(2)>

 開幕が27日に迫ったJリーグ16年シーズンの開幕直前企画「J監督インタビュー」第2回は、5年半ぶりに東京へ復帰した城福浩監督(54)に聞いた。Jリーグ経験者が多い今季、唯一社業に専念したサラリーマン経験のある指揮官。当時の社会人時代に見た世界が、監督業でも生かされている。

 遠回りをした分、頂点を目指す覚悟を決めている。城福監督が5年半ぶりに東京へ戻ってきた。「このクラブが掲げたことがない(J1優勝の)シャーレを掲げる」。悲願のJ1制覇。復帰1年目で大きなかじ取り役を託された。前回指揮した10年9月、成績不振でクラブを去った経緯がある。勝つことの難しさは身をもって知る。

 城福監督 勝利への近道はない。日々の積み重ねしかない。その中でいかに結果を残すか。そうじゃないと生き残っていけないと思い知っているし、その覚悟でいる。

 勝利に近道はない-。歩んできた道のりも遠回りだった。早大卒業後、入社した富士通で社業をしながらサッカー部でプレー。しかし30歳を前にサッカーから決別し、社業に専念した。

 城福監督 そのプロセスはサッカーから見たら遠回りだったけど、自分にとってはいい経験をさせてもらった。当時はとにかく会社で戦力になりたいと思っていた。本当にとんでもないミスをしたこともある。失敗したときほど修羅場。どんな職業でもあると思う。

 ある日、徹夜でつくった資料を本社役員も同席する会議に忘れた。前日休日出勤して上司宅でチェックまで済ませた大事な資料が、大事な会議の場にない。

 城福監督 でもその上司は顔色を全く変えなかった。そのときの立ち居振る舞いとかを見て、こういう人間でありたいなと。「苦しい局面で部下を守れる上司」。うまくいかなかったとき、仲間とかクラブの人とか選手とどうやって向き合えるか。遠回りした分、サッカーに生かさないと。

 もう戻ることはないと思っていたサッカー界。だが97年、プロ化を目指す東京の前身東京ガスから誘われたとき、退職を決意した。

 城福監督 自分にとってサッカー界に戻れるラストチャンスと思っていた。だから墨で半紙に退職願を書きました。でも書き直すんです、50枚くらい。書くことで覚悟を決める作業なんだなと。丸1日、書き終わったら夜になっていた。

 やめるときの覚悟は誰よりも知っている。だから、やると決めたときの覚悟もまた大きい。【栗田成芳】

<城福監督に聞く7つの質問>

 Q1 今季の目標とライバルになると思うチームは

 A 頂点。広島、ガンバ、浦和。

 Q2 今季のわがチームのウリは

 A 高いレベルの競争。選手層は胸を張っていい。彼らの高いレベルで競争させてあげることが選手にとってもチームにとっても成長につながる。

 Q3 勝利のルーティンは

 A 日々の積み重ね。日々の積み重ねしかない。勝利への積み重ねはない。

 Q4 仮に10億円を与えられたら何に使いたい

 A 日本人選手。今の選手がどうとかではなく、一番最初に考えるのは日本人。外国人に投じるのではなく、日本代表が強くなることに直結するから。

 Q5 好きな音楽は

 A なし。あまり聞かない。昔聞いていたビートルズやビリー・ジョエルをたまに聞くくらい。

 Q6 理想の上司、または尊敬する人は

 A 苦しい局面で部下を守れる上司。

 Q7 ストレス解消法は

 A ボール回し。とにかくボール回し。試合に勝っても負けてもスタッフとともにサッカーを楽しむ時間をつくりたい。その瞬間は立場は関係ない。そういう仲間でいたい。サッカー小僧でありたい。

 ◆城福浩(じょうふく・ひろし)1961年(昭36)3月21日、徳島市生まれ。徳島・城北高、早大から川崎Fの前身の富士通に入社。29歳で現役を引退して指導者に。富士通監督、東京育成部などを経てU-17日本代表監督として07年U-17W杯出場。08年から3年間、東京の監督を務め09年ナビスコ杯優勝。12年から3年間甲府を指揮。167センチ、64キロ。家族は夫人と1男1女。実兄の敬氏は仙台育英高監督。