横浜M悲願の初優勝!GK川口1点守った/復刻

1995年7月23日付日刊スポーツ紙面

<日刊スポーツ:1995年7月23日付>

 プレーバック日刊スポーツ! 過去の7月23日付紙面を振り返ります。1995年の1面(東京版)は横浜Mが悲願の初優勝でした。

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<横浜M1-0鹿島>◇最終節◇22日◇三ツ沢総合公園球技場

 横浜Mが、悲願の初優勝を達成した。鹿島に大苦戦を強いられながら、FWメディナベージョ(29=アルゼンチン)の決めた先制点を死守し、1-0の逃げ切り勝ち。奇跡の逆転Vを狙った川崎を自力で振り切った。ソラリ前監督(51)の辞任、ディアス(35)GK松永成立(32)の退団など、シーズン中の相次ぐ騒動を乗り越えての初Vを生んだのは、早野宏史新監督を中心とする新旧の世代を超えたイレブンの結束力だった。

 時計の針が、ジリジリするようなロスタイムを刻んでいた。「時計なんて、絶対見るなよ!」。井原が大声で叫ぶ。「笛まで、笛が鳴るまでだ!」と、小村が何度も何度も手をたたいて仲間を叱咤(しった)した。リードは、たったの1点。ボールは鹿島陣営にある。「頼む、頼むよ、もうノー(時間がないの意味)だよ」。声がかれはてた早野監督が、泣きそうな顔でつぶやきながら、テクニカルエリアからベンチに戻った直後だった。「ギャー」。フィールドのイレブンから、言葉にならない叫び声が上がった。午後8時49分、夢が、現実に変わった。

 優勝だ。井原が、なだれ込んでくるサポーターをかきわけながら、19歳のGK川口とがっちりと抱き合った。「ありがとう。ありがとう。ついにやったよ、ついに……」。込み上げる涙をぬぐおうともせずに、キャプテンは大一番での先発出場で最後までがんばり抜いた松田と、「ぶっ倒れるまでやったろう!」と試合中もゲキを飛ばし続けた安永の両ルーキーにも握手を求めた。

 二つの世代が一緒になって早野監督の胴上げが始まった。2度、宙を舞った。選手の汗と涙で、麻のスーツもびしょぬれ。その目には、涙があふれ続けた。最後の一戦で決断した選手起用が、見事にはまった喜びがこみ上げていた。「初優勝に向けて、新しい力が欲しかった」と、18歳のルーキー松田をスタメンに抜てきした。一つ間違えば失敗に終わるのを覚悟で、打った大バクチが的中した。伝統に縛られ、新旧交代に苦しんだチームが、24・1歳の今季最年少スタメンを組み、新旧の世代が一致団結して優勝をつかみとった。

 「背中の応援と、このムードで体がビリビリとシビれました」。鹿島の猛攻からゴールを守り切り、試合後はサポーターたちに肩車された川口は言った。今シーズン、松永の退団で、突然出番が回って来た。背中に「松永出せ!」のヤジを受けた。そのたびに「クソッ、見てろよ」と、自分に言い聞かせてのプレーを続けて栄光にたどり着いた。

松田と安永のルーキーコンビは、「この試合でビビッてるようじゃ、世界はあきらめないかんな」と、冗談を言い合って試合に臨み、十二分に持ち味を発揮した。木村が去り、松永、ディアスが去り、水沼も今ステージ限りで引退する。そんな中、「経験や年齢に関係なく、みんながグラウンドで結果を出そう」(井原)と、団結しての初Vをかみしめた。ベテランと若手をつなぐ中堅選手も黙々と仕事をこなした。鈴木正は全試合出場を果たし、野田は警告0で中盤を固め続けた。「最後は勝利のために、(みんなの)感情がムキ出しになり、ようやくプロらしくなったよ」。サパタの言葉が、チームの成長ぶりを象徴していた。

 ソラリ監督の途中退任をはじめとするさまざまな騒動も、優勝が水に流してくれた。「生涯最高の瞬間? いえ、もっと最高の瞬間が待ってるでしょう」と、早野監督は言った。最高の瞬間……、それはチャンピオンシップを制した時に訪れる。