ラモス瑠偉氏「命の恩人」21歳下の俊子夫人と退院

都内のリハビリ病院を退院したラモス瑠偉氏(左)は俊子夫人と笑顔を見せる

 ラモス、元気です! 昨年末に脳梗塞で倒れたサッカー元日本代表のラモス瑠偉氏(60)が14日、都内のリハビリテーション病院を退院した。一昨年11月に結婚した俊子夫人(39)の支えもあって、驚異的な回復ぶり。笑顔も戻り口も滑らかに動いた。再びボールを蹴ることはもちろん、スペシャルアドバイザーに就任したJFLのFC今治での現役復帰まで熱望。病に倒れ還暦を迎えてもなお、元気いっぱいだった。

 病院を出るラモス氏は俊子夫人とともに笑顔だった。「この1、2週間、すごい回復ぶり。病院の先生も驚いていたよ」。退院の許可が出たのは、この日の昼過ぎ。まだ左腕や左足がしびれることはあるというが、歩く姿は不自由さを感じさせない。べらんめえ口調も以前と同じだ。「梗塞の範囲は広かったけれど、言語と運動機能の神経は大丈夫だったんです」。俊子夫人が笑顔で言った。

 昨年12月29日朝、ラモス氏は都内の自宅のベッドから落ちた。異変に気付き、救急車を呼んだのは一昨年11月23日に結婚した俊子夫人だった。「奥さんは命の恩人」とラモス氏。脳梗塞と診断され、すぐに入院。会話こそできたが、予断を許さない状況で「最初はつらかった。誰とも会いたくなかった」。それでも、60歳の誕生日の今月9日には一般の病院からリハビリ病院に移り、自身のブログで近況を報告した。

 「死ぬのは怖くない。ただ、奥さんや子どもたち、友だちと会えなくなるのは嫌だった」。家族や友人を大切にするラモス氏らしい言葉を口にした。転院の際に「走って家に帰る」ことを目標にし、1日3時間のリハビリ。ジョギング程度だが、すでに2キロ走った日もあるという。「(ボールは)右足は完璧に蹴れる、でも、切り返しがなかなか難しい」。言葉は退院の喜びにあふれ、熱を帯びた。

 1月には元日本代表監督の岡田武史氏がオーナーを務めるFC今治のチームアドバイザーに就任した。「昨年、岡田さんとは現役復帰についても話していたんだ。ホーム戦のラスト15分だけ。いいプレーはできると思う」と真顔で話した。今季JFL初参戦のFC今治は1季でのJ3昇格が目標。「(背番号)10番は空いているかなあ」。脳梗塞を乗り越えつつあるラモス氏は、再びJリーグの舞台でプレーする壮大な夢まで口にした。【荻島弘一】

 ◆ラモス瑠偉(るい)1957年2月9日、ブラジル・リオデジャネイロ生まれ。77年に来日し、読売クラブ(V川崎=現東京V)と京都でプレー。89年に日本国籍を取得し、日本代表として活躍した。98年引退後、ビーチサッカー日本代表監督などを経て06年から東京V監督、07年にJ1昇格を果たして退任。14年から昨年までJ2岐阜監督。84年に結婚し、1男1女をもうけた初音夫人は11年に死去。俊子さんとの結婚は2人で墓前に報告した。