元Jリーガー財前氏 熱い思いを子供たちへ伝えたい

仙台在籍時の財前(02年4月21日撮影)

 Jリーグ・ベガルタ仙台、モンテディオ山形でプレーした財前宣之氏(41)は今、自身が輝きを放った東北の地で原石の発掘に取り組んでいる。「俺が磨く」をキャッチフレーズに、小学生を対象にした「財前フットボールスクール」を仙台市内に立ち上げてから、1年がたつ。若くして天才少年として才能を開花させながら、3度の前十字靱帯(じんたい)断裂という重い十字架を背負い、苦難のサッカー人生を歩んできた苦労人が、これまで語らなかった秘話を明かし、後進育成への思いを語った。(聞き手 下田雄一)

 仙台でサッカースクールを立ち上げて1年。出身は北海道で、キャリアの始まりは東京だが、プロとして最も輝きを放ったこの地で、小学生を対象にしたサッカースクールを開校した。S級ライセンスを取得し、Jリーグの指導者という選択肢があってもいいが、育成世代の指導にこだわる。

 財前 実家があるわけでもないんだけど、仙台は居心地がいいし大好きな土地。お世話になった人もたくさんいる。ベガで7年、モンテで4年。振りかえると、やはりここは第2のふるさと。応援してくれた人に恩返しがしたい。スクールの生徒がお世話になった人の子供だったりする。あとはセカンドキャリア。選手はみんな辞めた後の生活が不安で受け皿になれればって。Jリーグの監督になりたいとかはない。ビジネスマンとして成功したい。

 個性的な選手が少なくなった昨今、育成プログラムの現状を疑問視する。そこにはレールを逸脱して突き進んできた天才ならではの発想がある。

 財前 ひと昔前の選手はみんな自分の感性でやっていた。戦うには自分を知ることが大切だった。自分ひとりで考えたり。俺の場合、体が小さかったから、大きな選手といかにボディーコンタクトしないで、ボールを早くさばいて受け直せるかを、まず考えた。人のいいところも見て盗む。サッカーって答えがないところが面白いんだけど、今は教科書がある。指導者がたくさんいて、いい情報、ノウハウがありすぎる。それに戸惑っている子供を見てきた。Jリーグでも上から試合を見ているとみんな同じに見える。個性がないんですよ。でも、大久保嘉人(東京)は個性が強いよね。こぼれ球をいつも狙っている。あれぐらいの表現力がないと海外では生きていけない。日本人って人のよさが出ちゃう。ミスしても俺によこせよ! ぐらいじゃないと。いい子ちゃんじゃダメ。自分の感性で状況を打破できる子供を育てたい。

 個人の技術を磨くには対人プレーが大前提と語る。欧州でプレーして体感した日本人が世界で戦うためのメソッドのひとつだ。

 財前 試合中にリフティングする? 1000回できるとかじゃない。もちろんできないよりできるに越したことはないけど、サッカーがうまくなるわけじゃない。大切なことは対人。2人組でリフティングさせると、みんなできない。相手のことを考えてのパス。インステップで100回思いやりのあるパスを出させたほうが意味がある。海外の選手って体をうまく使って競り合うのがうまい。サッカーって敵も味方も相手があるもの。常に対人を意識させている。

 若くして才能を認められ、世界のトップレベルを体感してきた。

 財前 ヴェルディでやってたときカズさんと代理人が一緒だった。カズさんがセリエAのジェノアでプレーしたとき、俺はローマ(ラツィオ)にいた。カズさんがクロアチアに行ったらおれもクロアチア。カズさんとはセットだった。一緒にプレーはしていないけど、家に呼ばれてりさ子さん(カズ夫人)に日本そばをごちそうになったり。それは俺にしかない経験。カズさん、ネスタ(元イタリア代表)とやれるのは一握りの選手。そこでの経験を子供たちに落とし込みたい。

 3度の前十字靱帯断裂を経験するなどけがに悩まされたサッカー人生。仙台、山形で2度の戦力外通告を経験するなど挫折の連続だった。

 財前 俺が失敗したことも落とし込みたい。試合に出続けている人はけががない。出続けることが大切。どの監督にでも使いたいという選手になれって。俺はトップ下にこだわってポジションを巡り監督と対立した。それで戦力外になった。いろいろなポジションをこなせることに越したことはない。いい経験も失敗も、俺は伝えたい。

 世代別日本代表の10番を背負い若くしてイタリアへ。最後はタイリーグでキャリアを終えた。

 財前 とりあえずテストマッチが1試合あるから、行くだけ行ってみてくれって頼まれて。軽い感じで行ったんだけど、サポーターが山形時代の俺の応援歌で迎えてくれてね。鳥肌が立ったよ。ヒールパスとかしたら大歓声になって気持ちよかった。試合が終わって帰ろうとしたらクラブのオーナーがベンチ脇に来て『お前がほしい。いくら欲しい』って直談判されて。そういう情熱ってうれしいじゃない。タイリーグっていろいろな国の選手が飛び込みで練習場にやってきて『ワンデイ、テスト』って監督にアピールしてくる。みんな飯食っていくために必死。月収2万円でサッカーしてる選手が多くいたよ。そういう環境も見てきたし、イタリアの優等生たちも見てきた。プロ17年間で経験したことを踏まえ、子供たちに落とし込んでいきたい。

 ◆財前宣之(ざいぜん・のぶゆき)1976年(昭51)10月19日、北海道室蘭市生まれ。89年、読売ジュニアユース時代に全日本ジュニアユース選手権優勝など6冠に貢献。93年、U-17世界選手権では主将を務めベスト8入り。カズ、ラモス瑠偉とプレーした後、セリエAラツィオの練習生としてイタリアへ。スペインリーグのDCグロニエス、HNKリエカ(クロアチア)を経て、99年にJ2仙台に移籍し、11年にJ1昇格がかかった京都戦で奇跡のロスタイム弾を決めた。05年末に戦力外通告を受け山形へ。08年に山形のJ1昇格に貢献した。10年にタイ・プレミアリーグのムアントン・ユナイテッド、BECテロ・サーサナFCでプレーし、12年に17年間のプロ生活に別れ、35歳のときブログで引退を表明した。仙台アカデミーコーチを経て、16年に財前フットボールスクールを開校。独身。血液型O。