律儀で厳格…C大阪を初冠に導いた尹晶煥監督の規律

ルヴァン杯を制し、選手らから胴上げされるC大阪の尹監督(撮影・狩俣裕三)

 まとまりを欠いた「スター」軍団を尹晶煥監督(44)が変えた。セレッソ大阪がルヴァン杯を制し、悲願の初タイトルを獲得した。個々の才能はありながらチームとして機能せずV逸、J2降格を繰り返してきたチームに指揮官は、厳しい規律をもたらした。選手にハードワークを課し、FW柿谷を左サイドに配するなど貫いた信念が、歴史を変えた。

 水をかけられ、びしょびしょになっての胴上げでも尹晶煥監督は、はじけるような笑顔だった。「ここまで平らな道ではなかった。全選手が素晴らしいことをやった」。前夜は「緊張しすぎて寝違えました」。重圧をも制した喜びは首の痛みも消した。

 今年の元日午前10時ごろ、C大阪玉田社長の携帯電話が鳴った。見たことのない番号、そして10秒近い無言の後に「もしもし尹です」。新年のあいさつだった。関係者に連絡先を聞いてまでかけてきたという。「びっくりした。ここまで律義な人間か、と」。

 厳格な規律をチームにもたらした。1月の始動2日目は、まだ月も沈まない午前6時50分に練習開始。キャンプは3部練習で鍛え、攻撃の柱だった柿谷を守備重視の左サイドに。「走りたくない」という杉本を「走り続けろ」と一喝した。一方で選手とは常に話し合う。監督が示す方向性でまとめ上げた。

 現役時代はC大阪でプレーし、00年第1ステージのV逸も経験した。「選手が1つにまとまろうとするのを感じたのは2回ぐらい。その姿勢がなかったから優勝できなかった」。肌で感じた「セレッソ」の体質を真っすぐな信念で改善した。1次リーグから13試合無敗(8勝5分け)で頂点へ。「僕は幸せなチームを率いている」。選手に囲まれた尹晶煥監督は、普段はめったに見せない笑顔、笑顔だった。【実藤健一】

 ◆尹晶煥(ユン・ジョンファン)1973年2月16日、韓国生まれ。現役時代、JリーグはC大阪(00~02年)と鳥栖(06~07年)に所属。韓国代表通算38試合3得点。02年日韓W杯代表。11年から14年8月まで鳥栖監督。韓国の蔚山監督を経て今季からC大阪を率いる。家族は夫人と2男。