1年でJ1復帰へ 最後に取り戻した「新潟らしさ」

10月14日、G大阪に勝利しタッチを交わして喜ぶ田中らイレブン

 アルビレックス新潟は04年から14年間守ってきたJ1の座を去り、来季は03年以来15年ぶりにJ2で戦う。降格こそ決まったが、シーズン終盤の6試合は5勝1分けと絶好調だった。戦い方で迷っていたチームが、最後の最後に取り戻したのが「新潟らしさ」だった。それは1年でのJ1復帰を目指すための基盤になる内容だった。

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 第32節甲府戦(11月18日)で新潟はJ2降格が決まった。「でも、今の戦い方を続けていくことができれば、大丈夫」。そう話したのは新潟OBの安英学氏(39)だった。03年のJ2優勝、J1昇格決定、翌04年のJ1初参戦時の主力。そのレジェンドが新潟の将来に太鼓判を押した。

 降格が決まる1月半ほど前、安氏は新潟の戦いぶりについて厳しい意見を述べていた。「1対1の守備で体を張っていない。セットプレーのときもボールから逃げる。僕らは体ごとボールや人に向かっていった。体の痛みよりも、僕は失点する方が痛かった」。そして「J2降格よりも、そういう部分がなくなったことの方が悲しい」。

 そのころ新潟は16試合未勝利だった。第28節神戸戦(9月30日)で0-2で敗れた後、2週間の中断に入った。安氏の感想は中断をはさんで変わった。それは新潟の戦い方の変化を示していた。中断明けの第29節G大阪戦(10月14日)は1-0で勝利。そこから5勝1引き分けでシーズンを終えた。前線からプレスをかけ、奪った位置からカウンター。球際の攻防で激しく当たり、ゴール前では体を張りながら、カバーを怠らない。「自分たちのときと同じ。あれが新潟のサッカー」。安氏は絶賛した。

 DF大野和成(28)は言う。「中断期間、選手の気持ちが1つになった」。それまで、ゴール前を固めようとする守備的な選手と、ボールを取りにいこうとする前線で意思統一ができない場面が多かった。ベンチから出される指示も、練習と試合で異なることがしばしばだった。

 大野を中心に選手はそれぞれの気持ちを確認し合った。「走って、奪って、前へ、が自分たちの形のはず」。8月に鳥栖から期限付き移籍してきたMF小川佳純(33)は練習中、一致した動きを見せない選手を叱咤(しった)した。練習前には呂比須ワグナー監督(48)と言葉を交わすなど、コミュニケーションを取った。その中で、プレスをかける位置など、試合中は選手の判断で行うプレーが増えた。

 大野は「苦しい状況でもチームがばらばらになることはなかった。団結していなかったら、終盤、あんなにいいサッカーはできない」。J2降格の陰で、収穫は「新潟らしさの復活」だった。原点は消えずに残っていた。それは1年でのJ1復帰とその後の定着、上昇の土台になる。【特別取材班】