元フットサル代表高橋健介氏 インドネシア代表指南

インドネシア・プルウォコルトのスコア・フットサルで女子代表を指導する高橋監督(本人提供)

 昨季フットサルFリーグ・バルドラール浦安の監督を務めた高橋健介氏(35)が、今春から日本人初のインドネシア代表監督としての活動をスタートした。2日に同国フットサル連盟と契約。A代表からU-20代表、女子代表まで強化・指導を担う。2年後のワールドカップ(W杯)出場へ、かつて日本代表としてカズ(51=J2横浜FC)らとプレーした誇りを胸に、新天地に挑む。

 インドネシアで指導を始めてから、日本であり得ないことばかり。ジャワ島中部の女子代表合宿地プルウォコルトで、激しいスコールのため、電気が止まった。男子のリーグ戦視察時、合宿地から同島東部スラバヤまで移動中、列車事故に遭遇した。結局、会場に着くまで18時間以上かかった。そんな“初体験”の連続に動じない高橋監督は「東南アジア予選を勝ち抜き、いつか日本と対戦したい。ワクワクしています」と心躍らせている。

 2年前の現役引退後、所属していた浦安の派遣で1週間、インドネシアのクラブを指導した。「将来性と人柄の良さにひかれた」。浦安監督時代の昨年12月、同国代表監督が解任されると、後任候補に手を挙げた。「(自身の子どもたちも)一番上は状況を理解できる年頃。長く留守にすることも分かるので泣きましたけど、家族全員が最後はチャレンジを応援してくれた」と単身で乗り込んだ。

 平日は5月のAFC選手権(2日~、タイ)に臨む女子代表を指導。週末は2年後のW杯に向けた男子代表選考のため、国内リーグを視察する。1日6試合、12時間ぶっ続け。同国料理バクソ(肉団子スープ)などでお腹を満たし、体力を維持しながら、休みなしで動きまわる毎日だ。

 幼少期はV川崎(現J2東京V)の帽子をかぶり、札幌開催の試合でカズを応援した。フットサル日本代表時代、チームメートとしてW杯優勝を目指し「ある意味、夢がかなった」。その後、指導者に転身。この春から「部下」となった現インドネシア代表コーチのワフユ・ベウェ氏は05年アジア選手権に正GKとして出場。日本に0-7と大敗した。点差以上の実力差に衝撃を受け「日本から学びたい」と願っていたワフユ氏にとって、その試合で3得点の高橋監督はカズに匹敵する存在だった。

 日本人初の大役を担う高橋監督は言う。「(選手もスタッフも)素直に話を聞いてくれますし、上達は早い。選手の個の能力は高いので、戦術が身につけば結果は出る。インドネシア初の日本人監督ですから、僕の出す結果で日本人の評価が決まる。2度目のW杯を、指導者として実現したい」。愛知も立候補する20年W杯出場へ。常夏の島で夢を追う。【中島洋尚】

 ◆高橋健介(たかはし・けんすけ)1982年(昭57)5月8日、旭川市生まれ。旭川緑新小3年でサッカーを始め、旭川実高では00年選手権初出場を主将としてけん引した。順大3年からフットサルに転向し、04年には日本代表としてAFC選手権、FIFA世界選手権出場。所属は07年Fリーグ浦安、08年スペイン1部カハ・セゴビア、10年同グアダラハラ、11年浦安に復帰し、16年に現役引退、17-18年シーズンは監督を務めた。173センチ、66キロ。

 ◆インドネシアのフットサル事情 リーグは1部16チームで8チーム2グループが2回戦総当たりで実施し、グループ1、2位4チームがトーナメントのチャンピオンシップで優勝を争う(昨季優勝はマタラム)。A代表は4月の世界ランキング56位(日本は15位)だが、昨年5月のU-20AFC選手権で日本と3-3で引き分けるなど急成長している。