ラモスやカズと口利けず…J第1号マイヤー氏が裏話

93年5月、V川崎対横浜M 前半19分、Jリーグ初ゴールを決めバンザイして喜ぶV川崎FWマイヤー(右)

<ズドラーストヴィチェ!~こんにちは~(7)>

 Jリーグは今日15日、25周年を迎える。四半世紀前の93年5月15日、横浜マリノスとの開幕戦で第1号ゴールを決めたのが、ヴェルディ川崎のFWヘニー・マイヤー氏(56)だ。オランダで取材に応じ、世界の話題を届ける「ズドラーストヴィチェ!」第7回に登場。初得点の裏話や当時「内紛」と騒がれたチーム事情を回想した。25年間でワールドカップの常連になった日本にもエールを送った。

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 今年もまた、マイヤー氏のゴール映像が流れる時期がきた。今はない国立競技場。川淵チェアマンのJリーグ開会宣言、5万9626人がチアホーンを鳴らす中、開幕戦の前半19分に1号が生まれた。ペナルティーエリア左隅の外。V川崎のマイヤー氏がボールを受け、相対した横浜MのDF小泉を右にかわす。視界が開けた瞬間、右足を振ってゴール右上を射抜いた-。

 あの年に母国へ戻ったマイヤー氏は、84キロから118キロになった巨体を揺らして現れた。懐かしそうに振り返る。「Jリーグ25周年おめでとう。あれは本能的な得点だった。試合を見返すと、実はほとんどパスをもらえていないんだ。何とか『左サイドでフリーになって、中に切り込んで打つ得意の形に持ち込みたい』と当時の僕は考えたんだろう。勝手に体が動いた」。

 91年のオランダ1部リーグ最優秀選手。今は堂安律が所属するフローニンゲンから31歳で加入した。彼を使うためカズが2列目に下がったほど期待されたが、来日前にアキレスけんを痛め、合流は開幕1週間前。それでも「練習2回で先発…不思議だったよ。ミーティングで(松木)監督から言われたのも『You Score Goal(点取って)』だけだったから」と笑い飛ばす。

 当時は「内紛」も伝えられていた。マイヤー氏らオランダ人3人、ブラジル人3人、そして日本人の選手とスタッフが意思疎通を欠き「大げさかもしれないけど、ラモスさんやカズとは話をさせてもらえなかった」記憶しかない。「点取り屋のエゴの衝突は仕方ない」と理解はしつつ「ホテルは1人部屋、食事も別だった。練習場では言葉が通じず『クソボールをよこせ』と叫んだよ。それが気にくわなかったんだろう。年俸は今の通貨で30万ユーロ(約4050万円)と良かったんだけど」。鹿島ジーコ氏の推定4100万円とほぼ同じ好待遇だったが「ケアがなかった。もちろん僕も生意気だった」と孤立した。

 結局、残した成績は11試合2得点。もう1点は、V川崎がJリーグ初勝利を挙げた5月22日の広島戦だった。以降は環境も状態も上向かず、一発屋のイメージとともに7月に契約解除された。「1年+1年オプションの契約で拒否はできたけど、あの時は我慢できなかった。後悔している。日本人が知るオランダ人はフリット、ファンバステン、ライカールトだけ。元オランダ代表、MVPの僕でも最後まで『お前、誰だ』扱いだった」。もちろん恨みはない。昨年のカズの50歳ゴールは「もちろん見たさ」と喜び、ラモス氏が脳梗塞で倒れたことも「治って良かった」と気にかけていた。「ツナミさんやタケダは元気かな」とも話した。

 あれから25年。「当時は未熟だったと思うけど、日本は進歩している」。昨年4月21日には、清水FW金子が通算2万ゴール。「その1点目として永遠に記録が残ることを誇りに思う。100年後、僕が生きていなくても第1号は生きていく」。日本を思う気持ちも変わらない。「W杯に出られないオランダより、日本は上でしょ」と笑い「堂安はいい選手だ」とフローニンゲンの後輩のサプライズ選出に期待した。そして躍進を願う。「今もたまにJリーグを見るけど、上位3チームはオランダ1部でも平気で戦える。25年間の成長をW杯で示す時だよ」。【取材・構成=木下淳、エリーヌ・スウェーブルス通信員】

 ◆ヘニー・マイヤー(Hennie Meijer)1962年2月17日、オランダ領ギアナ(現スリナム)の首都パラマリボ生まれ。オランダ国籍のFW。83年にオランダ2部テルスターでデビュー。アヤックス時代の87年に代表入り(1試合無得点)。91年にフローニンゲンを過去最高の3位に導き、MVPに輝いた。同国の1部と2部で通算148得点。来日中は富士山や東京ディズニーランドを満喫していたという。182センチ。