加藤久氏「自分でいいのか」日本サッカー殿堂入り

日本サッカー殿堂掲額式典で田嶋会長(左)と記念撮影する加藤氏(撮影・江口和貴)

日本サッカー殿堂入りした加藤久氏(61)が10日、東京・文京区のJFAハウスで行われた掲額式典に出席した。68年メキシコ五輪日本代表選手らとともに掲額され「小学校6年生の時に見ていたすごい人たち。自分でいいのか、辞退しようかと思った」と話し「今でも釜本さんと会うと(緊張で)シャツがびしょびしょになる」と笑わせた。

宮城・仙台二高から早大入りし、3年の77年に日本代表入り。守備の要、主将として長く代表チームをけん引した。86年メキシコW杯予選、88年ソウル五輪予選では、世界まであと1歩と迫りながら惜敗。「僕らは神様から負ける使命を負わされた世代。でも、それがプロ化につながった」と苦しい時代を振り返った。

93年5月15日、Jリーグ開幕戦にV川崎の一員として出場。その後清水に移籍して、最後は再びV川崎で94年に引退した。現役選手でありながら91年には日本協会強化委員になり、94年には引退とともに強化委員長に就任した。「トップチームばかりがクローズアップされたが、育成をやらないといけないと思い、育成に予算をさいてもらった」と話した。この育成年代の強化が、プロ化とともに今の日本サッカーを支える。

指導者としてV川崎、湘南、京都などでJリーグ監督を歴任、磐田ではGMも務めた。11年、故郷の宮城・利府町が甚大な被害を負った東日本大震災後には、日本協会のJFA復興支援特任理事として支援活動に尽力した。

サッカー関係者はみな、親しみと尊敬を込めて「久(きゅう)さん」と呼ぶ。その久さんは「今年はイニエスタやトーレスら世界のスター選手がJリーグにきた。トップレベルが身近にいることは大事。まだまだ日本は成長する」と日本サッカーの今後に期待しながら話していた。