山形ユース半田アジア王者手に凱旋、海外への思い語る

半田陸(2018年6月13日撮影)

モンテディオ山形ユースの至宝、U-16日本代表のDF半田陸主将(16)がアジア王者の称号を手にし、夢の世界挑戦にまた1歩近づいた。7日までマレーシアで行われた「AFC U-16アジア選手権」で、日本代表キャプテンとして全試合に出場しチームをけん引。12年ぶり3度目の優勝に貢献し、来秋のU-17ワールドカップ(W杯)ペルー大会の出場切符を手にした。凱旋(がいせん)帰国した半田が大会を振り返り、夢だった海外挑戦への思いを口にした。

半田は13日、山形市内で行われた凱旋会見に臨み、集まった地元テレビ局のカメラに向かって堂々と夢の海外挑戦を宣言した。

半田 最高のスタッフとチームメートに恵まれて優勝できて幸せでした。今後は、まずは来年のU-17W杯ペルー大会に出て、そこで活躍して海外のクラブチームでプレーしたいです。

トップチームのJ2山形を飛び越して海外? と突っ込まれると、照れ笑いを浮かべながら「早く山形でプレーしたいです」と言い直し笑いを誘った。

主将として、谷間世代と言われていたU-16日本代表を率いて頂点に導いた。表彰式では、イレブンの中央で誰よりも喜びを爆発させ、優勝トロフィーを高々と掲げた。過酷なアジアの舞台で試合を重ねるごとに、試練を乗り越えたくましさを身につけていった。

半田 W杯出場の懸かった大会でキャプテンを任されてとても重圧を感じていたので、(優勝できて)ホッとしています。大きなプレッシャーがかかる中でも、海外の選手のように強いメンタルを発揮してプレーできたことは自信につながった。自分勝手なプレーで失点した後も気にせずに、顔を上げてプレーできたことは成長できたところだと思います。

9月26日は勝てばグループステージ突破が懸かる開催国マレーシア戦。突然の雷雲接近のため、翌27日に試合が順延となった。日程変更にも、完全アウェーの異様な雰囲気のスタジアムにも動じずに90分間、最終ラインから鼓舞し続け、2-0で勝利しチームを準々決勝進出に導いた。

半田 カミナリで試合が1日遅れたが、みんなで切り替えて集中して試合に入れた。ああいう状況でも自分たちのサッカーをすることができて、いい形で試合を終われたことは自信につながった。試合中はスタジアムの大歓声で声が届かなかったので、セットプレーで流れが途切れたときにみんなで声を掛け合って、冷静に対応することができました。

同30日の準々決勝ではオマーンを2-1で破り、W杯切符をつかみ取った。波に乗ると、10月4日の準決勝ではオーストラリアを3-1で撃破。同7日の決勝では北朝鮮、韓国を下した中央アジアの強豪タジキスタンを1-0で下し、頂点に立った。

半田 グループステージでプレーの精度が高まったと感じていたので、後ろから見ていても負けるとかそういう雰囲気は感じなかった。自分たちディフェンス陣が我慢して守っていれば、攻撃陣が点を決めてくれると思っていた。前線の選手も戻って守ってくれたり、最後まで走って戦うことができた。自分としては本調子じゃなかったときに、シュートブロックでチームを助けられたことは成長したと思う。当たり負けしない部分もあったが、一発で裏へ抜かれたり、リスク管理でまだ甘かったりする部分もあった。そこはこれから追求していきたい。

1カ月に及ぶ海外遠征では、ピッチ外でのハプニングも多発したという。文化風習の違うアジアの地で、矢継ぎ早に襲うアクシデントも糧にした。

半田 空港に到着して乗るはずのバスがいなかったり、練習場にバスで移動したら場所が違っていたこともあった。そういう状況をどう乗り越えられるかが試されると思った。下を向いたりシュンとなるのではなく、みんなが顔を上げてポジティブに受け入れられたことは、チームが成長していると感じました。

代表キャプテンとしてアジア王者の称号を獲得し、世界挑戦へのレールは敷かれた。

半田 将来的に右サイドバックでプレーしたい気持ちはあるが、(代表ポジションの)センターバックもいろいろ考えてやれば、僕の身長でも対応できると思う。複数ポジションで役割をこなせる選手になれるように頑張りたいです。【取材・下田雄一】

◆半田陸(はんだ・りく)2002年(平14)1月1日、山形県上山市生まれ。上山カメレオンFCでサッカーを始め、14年に山形ジュニアユース村山に加入。16年にはU-15J選抜入りしてブラジル遠征、JFAエリートプログラムU-15日本選抜で韓国遠征に参加。今年はU-16アジア選手権優勝。好きな食べ物は、祖母の作った芋煮。176センチ、63キロ。血液型B。