イニエスタが橋渡し、育成スペシャリストが語る未来

神戸アカデミー部門アドバイザーのアルベルト・ベナイジェス氏

日本サッカーの未来を見据えての大改革。ヴィッセル神戸はスペインの強豪FCバルセロナをモデルに改革を進めてきた。MFアンドレス・イニエスタ(34)を獲得し、監督もシーズン途中にフアンマヌエル・リージョ氏(52)へ。それらに並ぶ大物と言われるのが、アカデミー部門のアドバイザーで招請したアルベルト・ベナイジェス氏(63)だ。才能を見いだしたイニエスタをはじめ、バルセロナの育成担当としてメッシ、シャビら黄金期の礎を築いた「育成のスペシャリスト」に聞いた。【取材・構成=実藤健一】

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大きな体を揺らしながらよく笑う。ジョーク好きで楽しいことを求め、自ら仕掛ける。日本に来て3カ月だが、その生活は「非常にいいです。日本の社会は教育的で生活」とすっかり気にいっている。橋渡しはイニエスタ。「一緒にやろう」。日本サッカーの未来を担う、子どもたちの育成というミッションを携えてベナイジェス氏は日本にやってきた。

「ドミニカで監督をしていた時にイニエスタから話をもらった。私は世界中で仕事をしてきた。これは日本で仕事をするチャンスだと思った。(イニエスタからの誘いが決め手かに)もちろん。200%、彼の誘いがあったからだ」

バルセロナに在籍した98年ごろ、来日した経験があるという。そこで感じたのは、日本サッカーの活気だった。

「名古屋に遠征で来たことがある。(日本が初めてフランス大会でW杯に出場した)98年ごろだったかな。日本のサッカー界が成長している時期。高いレベルにあるのを感じた」

世界レベルへ、ようやく1歩を踏み出した時期。その時の経験も、今回の決断につながったという。

ベナイジェス氏はサッカー選手の父がいて、自然とサッカーに携わった。しかし、生まれたのはスペインではなくメキシコ。

「フランコの独裁政権(※1)から両親が逃れたんだ。独裁の終わりにスペインに戻ってサッカーをやったが、選手としてはすぐにレベルの限界を感じた。選手は趣味、職業として教える道を選んだ。学校(3歳~14歳)の体育教師になって、地元のクラブチームで教えた。『18歳までに土台をしっかり作っていこう』というコンセプトで、スペインの3部リーグだったが、そこから9人が1部でプレーした。その実績をバルサに認められた。でもプロ契約は05年から。それまで32年、教師とクラブを掛け持ちしたんだ」

指導者としての出発点は、バルセロナ郊外の小さな街。「教える」楽しみに開眼し、情熱を注いだ結果はビッグクラブの“耳”に入った。そこで運命的な出会いを重ねた。

「当時のバルサはクライフ(※2)のアイデアで進んでいた。そのクライフも指導したラウレアーノ・ルイス(※3)が私の師だ。彼が「アカデミー」の領域を確立させ、育てる概念をもたらした。かなり影響を受けたし、学んだことは多い。(指導の信念は)情熱、そして働き者であること。自分のことよりまず、仕事を考える。成功している者の背景にはそれがある」

才能の見つけ方も独特だった。体のサイズや身体能力は重視せず。その視点があったからこそ、イニエスタを“発見”した。

「イニエスタ、メッシ、マラドーナ。体は大きくないがゲームを理解するインテリジェンス(知性)、技術、そして取り組む姿勢が違うのだ。アンドレス(イニエスタ)を初めて見たのはマドリードの大会だった。彼は12歳でアルバセテというチームでプレーしていた。体は小さいし、顔はこの壁のように白い。しかし、明らかな違いがあった。状況判断は常に正しく、パスのクオリティーは高い。ボールを失わない。ひと目で注目させられた」

日本人の可能性について聞いた。イニエスタのような選手が現れるのか。

「人生に不可能はない。バルセロナにいた(元スペイン代表)カルロス・プジョルは、技術は強くなかったが、トレーニングしたことで世界トップ10に入るDFになった。難しい挑戦だが知性と取り組む姿勢、規律で向上することはできる。日本のサッカーはまだ成長期にある。日本に来て3カ月たつが、その取り組む姿勢は疑いようがないもの。今回のW杯もいい大会を過ごした。日本が世界のベスト4にたどり着くのも、そう遠くはない」。

今年のW杯ロシア大会でも日本は、決勝トーナメント1回戦でベルギーに逆転負けを喫し、悲願のベスト8にたどりつけなかった。しかし、ベナイジェス氏はその先の可能性にまで言及した。規律、取り組む姿勢は世界トップレベル。経験を重ね、ベナイジェス氏がいうインテリジェンスを身につけることが、壁を乗り越える要素となる。

「時間が必要だ。イニエスタのような世界一流の選手が来て、日本のレベルを引き上げる。またイタリア、ドイツのリーグに参加した選手が代表で融合して大きな力になる。また日本は世代別では世界でも好成績をあげている。可能性は非常にある。

ただ、(下部組織の施設に)十分なロッカー室が備わっていない。スペインに限らず欧州ではベンチ、仕切りのあるロッカー、シャワー室が備わっている。それは個人じゃない。クラブ担任の努力だ。小さい時から整った環境あれば、向上力はより高まるものだ」

まずは神戸でどのような改革をもたらすのか。その成果は間違いなく日本中へと広がる。

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※1フランコの独裁 36年に勃発したスペイン内戦から政権を奪ったフランシス・フランコによる30年以上にわたる独裁政権。

※2ヨハン・クライフ 欧州年間最優秀選手賞に3度輝いたオランダ出身の名選手。監督としても88年から96年まで率いたバルセロナのリーグ4連覇など黄金期を築いた名将。16年3月に68歳で死去。

※3ラウレアーノ・ルイス バルセロナのコンセプトを作り、カンテラ(育成組織)の礎を築いたとされる指導者。76年にバルサの監督も務めた。

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◆アルベルト・ベナイジェス 1955年3月2日、両親がスペインのフランコ独裁政権から逃れたメキシコで生まれる。スペインに戻り、サッカー選手だった父の影響で始めるも、すぐに選手は断念。小学校の体育教師とクラブチームの指導を掛け持つ。91年にバルセロナの育成部門に招請、12年までユース監督などを務める。その後ドバイ→メキシコ→ドミニカとわたり、今夏に日本へ。