17冠ミスター鹿島小笠原引退「サボらずに」21年

16年12月3日、J1チャンピオンシップ(CS)決勝・第2戦 浦和対鹿島 優勝皿を掲げる鹿島MF小笠原

鹿島アントラーズの元日本代表MF小笠原満男(39)が今季限りで現役を引退することが27日、クラブから発表された。メッシーナ(イタリア)でプレーした約1年間を除き、プロでは鹿島一筋。クラブが獲得したタイトル20冠のうち17冠を知る鹿島の象徴が21年間の現役生活に幕を下ろした。近日中に記者会見を開き、引退の理由などを説明する。

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Jリーグ26年の歴史に名を刻む偉大なプレーヤーがまた1人、ピッチを去った。来年4月で40歳を迎える鹿島の象徴は、人知れず引き際を見極めていた。最終節前の11月末、小笠原からクラブに引退の意向が伝えられた。1年の契約延長を考えていたクラブも、本人の意思を尊重。今季最終戦となったクラブワールドカップ(W杯)終了後、選手らの前で自ら引退を報告したという。

背中でチームを引っ張ってきた。39歳とチーム最年長になった今も、本気で練習に取り組む姿勢は変わらず。選手らが「満男さんがサボっていないのにサボれない」「満男さんのために」と常日頃から口にする、チームの精神的支柱だった。クラブ20冠のうち17冠を経験しており、常勝軍団の「勝者のメンタリティー」の伝道師でもあった。

状況を判断し試合を組み立てる能力や、精度の高いキックが持ち味。日本代表としては02年、06年のW杯に出場。J1では17年連続ゴールの記録保持者で、3連覇を成し遂げた09年にはJリーグMVPに輝いた。利己的な考えを捨てチームを勝たせるプレーができ、勝利へのこだわりも人一倍だった。

8月にテクニカル・ディレクターとしてチーム復帰したジーコ氏が掲げる「献身、誠実、尊重」を体現する「ジーコ・スピリット」の継承者。司令塔だったがチームの変化に合わせてボランチもこなすなど、柔軟な対応力も持ち合わせていた。

近年は膝の内視鏡手術を行うも周囲には隠し、痛みを押してプレーすることでチームをもり立ててきた。今季はクラブ悲願のACLを制し、トロフィーを掲げた。この日、小笠原はクラブを通じ「鹿島アントラーズという素晴らしいチームでここまでプレーでき、鹿島アントラーズでサッカー選手として引退できることを、とてもうれしく、そして誇りに思います」とコメント。アジア王者の誇りを胸に戦った22日のクラブW杯が、現役ラストマッチとなった。【杉山理紗】

◆小笠原満男(おがさわら・みつお)1979年(昭54)4月5日、岩手県盛岡市生まれ。大船渡高3年時に全国高校選手権に出場。卒業後の98年に鹿島入り。同期に曽ケ端準、中田浩二、本山雅志ら。99年ワールドユース選手権(現U-20W杯)に出場し、準優勝に貢献。02年3月21日ウクライナ戦でA代表デビュー。W杯は02年日韓大会と06年ドイツ大会に出場した。06年夏にセリエAメッシーナへ期限付き移籍。07年夏に鹿島復帰、チームはそこからリーグ3連覇し自身は09年に初のリーグMVPに。東日本大震災後は発起人の1人として「東北人魂を持つJ選手の会」を立ち上げ、復興支援に奔走した。J1通算525試合69得点、国際Aマッチ通算55試合7得点。利き足は右。173センチ、72キロ。血液型O。