楢崎正剛「やり切った」盟友中沢とともに同日引退

02年6月W杯日韓大会 ロシアを完封し日本のW杯初勝利に喜ぶ、左から宮本恒靖、GK楢崎正剛、中田浩二、松田直樹

昨季で引退したJ3・SC相模原の川口能活氏、横浜F・マリノスDF中沢佑二に続き、元日本代表でワールドカップ(W杯)4大会を経験した名古屋グランパスGK楢崎正剛(42)が8日、現役引退を発表した。J1歴代最多631試合出場の名手が、20年間所属した名古屋で、24年にわたる現役生活に区切りをつけた。今後は未定。11日に名古屋市内で引退会見を行う。

楢崎がクラブを通じ引退を発表した。「新シーズンへ向けてスタートを切ろうとするこの時期にこのような発表になったこと、最後にゴールマウスの前でプレーする姿をお見せできず終わってしまったことを、申し訳なく思います。横浜での4年、名古屋での20年、良いことも悪いことも全てが夢のような経験、最高のサッカー人生で後悔はありません」とコメントした。

奈良育英から95年に横浜Fに加入。1年目から正GKとして出場機会を得て、98年度に消滅が決まったクラブ最後の試合、天皇杯決勝で日本一となった。Jリーグのメンバー表の前所属欄に「横浜フリューゲルス」と書かれる最後の選手だった。翌99年に移籍した名古屋では長く主将を務め、10年にはストイコビッチ監督のもと悲願のリーグ制覇。GK初のJリーグMVPに輝いた。

日本代表でも長きにわたり川口と激しい正GK争いを繰り広げた。W杯は日本が初出場した98年フランス大会から4大会連続出場。これは日本では川口と2人だけの偉業だ。圧倒的な存在感で、後輩たちに多大な影響を与えた。特に名古屋でともにプレーした川島永嗣、本田圭佑や吉田麻也は楢崎から多くを学び、日本を背負う存在へと成長した。今後は未定だが「違った形でクラブや日本のサッカーの発展のために力を尽くせていけたら」とした。

18年はプロになり初めて公式戦出場ゼロに終わった。名古屋の現場の起用法、強化部のレジェンドに対する扱いには疑問も残るが、一切恨み言は漏らさず、親しい関係者には「やり切った」と報告し、仲のいい中沢佑二と同時の引退発表で、旅立つ。

◆楢崎正剛(ならざき・せいごう)1976年(昭51)4月15日、奈良県生まれ。奈良育英から95年に横浜F入り。クラブ消滅に伴い99年に名古屋移籍。10年に主将として初のリーグ制覇を成し遂げMVPに輝く。ベストイレブン選出6度。出場試合数はJ1通算631、J2通算29、リーグ杯通算71、天皇杯通算49、ACL通算19、ゼロックス・スーパー杯通算2試合。所属クラブで公式戦通算801試合に出場。日本代表でW杯4度出場、国際Aマッチ通算77試合出場。家族は妻と3男。187センチ、80キロ。