中村俊輔が覚悟の23年目語る、引退意識からの逆襲

開幕に向かって軽快に調整する磐田MF中村俊輔

J1リーグが22日に開幕する。23日午後3時、ホームで松本山雅FCと戦うジュビロ磐田のMF中村俊輔(40)は、プロ23年目をJ1最年長で迎える。ケガに苦しみ16試合無得点に終わった昨季終盤、引退も考えた。それでもオフには今季への準備を始め、開幕のピッチに立つ。なぜ、どうやって中村俊輔は2019年を戦うのか。じっくり聞いてみた。

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昨季、22年目の中村はケガが続いた。6月に慢性的な痛みを抱えていた右足首の手術に踏み切るなど、計4度の離脱。出場は17年の30試合から16試合に減り、年間を通じて初めて無得点に終わった。

中村 課題と向き合いたいのに、ケガと向き合う作業が増えてしまった。心が整っていても体がついてこなくて、整っていたはずの心も崩れてしまった。情けないシーズンだった。

横浜F・マリノスDF中沢佑二(40)や鹿島アントラーズMF小笠原満男(39)など、同世代の戦友たちが現役を退いた。中村の脳裏にも、「引退」の2文字が浮かんだこともあった。

中村 もう十分プレーしたし、(足を)休ませてあげてもいいかな? という思いもシーズンの最後はあった。みんなが辞めていったということもある。力が抜けちゃったというか。初めての感覚だった。

それでも、体は自然と「来季」への準備に向かっていた。オフ期間に入ると、足の治療のためにさまざまな場所を訪ねた。

中村 辞めたければ行ってない。その行動自体が「俺、やりたいじゃん」って。その気持ちに気付いた。戦友たちが引退したからこそ、サッカーをかみしめたいとも思う。「最後の1年、何だったんだろうな」ってならないように。

自分自身のプレーにも、例年以上に目を通した。

中村 若い時のプレーも見て「今、これはできない」「でもこれはできる」って整理をした。今までは毎年、向上、向上だったけど違う。ケガと付き合いながら、割り切れるようにした。その作業をする中で「よしやるぞ」って腹をくくれて、イメージもできた。

1月14日の始動から、恒例の自主練習にも制限をかけながら調整に励んだ。離脱は1度もない。実戦では主に、こだわりを持つトップ下でプレー。23日の開幕に向けた準備も順調だ。

中村 やり過ぎないというか、良い意味で力を抜いてできている。真ん中でプレーもさせてもらっているし、景色も違う。モチベーションは高いし、どのポジションで出たとしても全力を尽くしたい。

02年ワールドカップ(W杯)日韓大会。日本代表入りを確実視されながら、メンバーから外れた。それでも同年にイタリアへ渡り、06年にはスコットランドリーグでMVPを獲得。これまでの経験を通じて、壁を乗り越えた先には成功が待っていることも知っている。今季への思いを語る言葉にも力がみなぎった。

中村 チームが苦しい時、迷っている時に良い働きをしたい。試合だけでなく、ピッチ外でも。この年齢で(契約延長)オファーをくれたことに感謝して、結果で気持ちを示したい。

J1最年長として迎えるプロ23年目。希代のレフティーの逆襲が始まる。【前田和哉】

◆中村俊輔(なかむら・しゅんすけ)1978年(昭53)6月24日、神奈川県横浜市生まれ。横浜ジュニアユース、桐光学園を経て97年に横浜M(現横浜)に入団。02年にセリエA(イタリア1部リーグ)レジーナに移籍。05年からはスコットランド1部リーグのセルティックでプレー。その後、スペイン1部リーグのエスパニョールを経て、10年に横浜に復帰。17年から磐田。00年と13年にJリーグMVP。J1通算384試合73得点。日本代表として06年W杯ドイツ大会、10年南アフリカ大会に出場。国際Aマッチ通算98試合24得点。178センチ、71キロ。